佐藤浩市が振り返る「Fukushima 50」と3.11 「後世に伝えるために作品を作る意義がある」

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――現場の作業員が、5日間でだんだんとやつれていくさまが非常にリアルでした。

現実的には実際に5日間で撮るのは無理なので、それを数週間かけて撮影しています。それでも時系列に沿って、ほぼ順撮りになっています。そのため、みんながどんどんと疲れていく様子が映し出されたわけです。現実問題、あそこに5日間残った作業員の人たちも、いつ何が起こるかわからない。そんな緊張感の中でいたわけです。

我々は、実際には原子炉に入れない。そんな自分たちが、どこまで彼らのことを理解できるのか? そういう中であっても、その思いが少しでも伝わるようにするにはどうしたらいいのか? そうした心労も含めて、みんながいつしかやつれていったというところはあると思います。

撮影をしながらできあがった一体感

――若松監督が「現場はワンチームだった」とおっしゃっていましたが、現場はどのような感じだったのでしょうか。

作品が作品なので、そういう風になっていきますよね。僕らは中央制御室の中にいる役者たちと一緒にずっとやってきた。普段だったら考えられないような環境だったわけです。防護服を着ているから、セリフも聞き取りづらい。録音部も照明部も撮影部もみんな、どうするんだと言いながらもやっていく中で、キャスト・スタッフ関わらず、だんだんと一体感が出来上がっていった。

『Fukushima 50』は、福島第一原発事故当初の5日間をリアルに描いている ©2020『Fukushima 50』製作委員会

現実問題、僕らが言っているセリフなんて半分も(お客さんは)理解できないと思うんですよ。それでもやっぱり何かが伝わるわけです。今はどういう状況下にあるのかということで。それが監督が言うところのワンチームなんだと思います。

――作業員チームのリーダーとして、現場をどのように鼓舞したのでしょうか。

(撮影に入る際に)みんなで打ち入りをやって、士気を高めるというか。でもそれは普段もやっていることですからね。しかし今回は、ほぼみんなが旧知の間柄という設定があったものですから。いわゆる隣町だったり、高校の先輩・後輩だったり、そういう地元の連中が集まっているということだったので。しっかりとコミュニケーションをとるようにはしていましたけどね。

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