開業50年「湘南モノレール」なぜ住宅街を爆走? 「懸垂式」アピール狙い大阪万博の年に開通
JR東海道線などが乗り入れる大船駅と湘南江の島駅間(6.6km)を結ぶ湘南モノレールは、1970年3月7日に大船駅―西鎌倉駅間が開業し、1971年7月1日に湘南江の島駅までの全通を果たした。今年は開業から50周年となり、3月7日には50周年記念ロゴマークの発表などが行われる。
湘南モノレールは、フランスで技術開発されたサフェージュ式懸垂型(軌道からぶら下がる方式)モノレールの実用化を目指し、三菱重工業、三菱商事、三菱電機の3社が中心となって設立した「日本エアウェイ開発」が主な母体となって設立された。
開業までの過程を知るうえで参考になるのが、三菱グループの出身で湘南モノレールの建設本部長として設営の中心的な役割を果たし、同社の専務取締役に就任した村岡智勝氏が記した『湘南モノレール 設営の記録』(1971年発行。以下、設営の記録)という冊子だ。
あくまでも社内向け資料として編纂されたもののようだが、建設に至る背景や建設過程を克明に記している。以下、この冊子を見ながら半世紀前の様子を振り返ってみたい。
「跨座式」と「懸垂式」の覇権争い
まず、湘南モノレールが建設された背景には、日立、東芝、ロッキードなどが推し進めていた「跨座(こざ)式」(軌道にまたがって走る方式)モノレールと懸垂式モノレールとの覇権争いがあった。
日立は1964年10月10日の東京オリンピック開幕に間に合わせるために、急ピッチで東京モノレール(浜松町―羽田)を建設し、同年9月17日に開業させた。「モノレールは跨座式」と内外にアピールするための展示線の意味合いがあったという。
一方、日本エアウェイは、これに先立つ1964年2月に、名古屋市の東山動物園の一隅に延長460mの懸垂式モノレールを完成させたが、路線が短すぎ、また勾配や曲線もほとんどないために「サフェージュ式懸垂型モノレールの優越性を示すところがなく」(設営の記録)、東京モノレールとの比較になりうる路線の建設が急務だった。
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