「手塚治虫AI漫画」とAI美空ひばりの決定的な差 あくまでも「手塚を学んだAIの新作」である

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その一方で、「手塚治虫AI」にまったく違和感がないかといったらそうではない。このプロジェクトが発表された際、1つの疑問として「遺族の了承は取れているのか」という声があった。

「TEZUKA2020」には手塚治虫の息子である手塚眞も参加しているほか、「ぱいどん」では手塚るみ子の夫で桐木憲一名義で活動するマンガ家・手塚憲一がネームを担当したことを明かしている。遺族・関係者協力のもと進められているプロジェクトである。

AIによる「手塚の新作」を出すために、遺族の協力や了承を仰ぐことは実に真っ当なプロセスだ。だが、この真っ当なプロセスこそがわずかにひっかかる違和感でもある。

それは、故人である「手塚治虫」はIP(知的財産)なのか、という問題だ。従来の遺作再生産では、あくまで作品という著作物の管理の問題だった。「作品」という著作物の権利を管理し、コントロールする。そこにも故人の意思の問題はあるものの、あくまで作品=IPの扱いのみの範疇だった。

だが、「手塚治虫を学習して新作(らしきもの)をつくる」というプロジェクトで、仮に何らかの許諾を取るとしたら、それは何に対する許諾だろう? 既存の作品でない以上、作品自体の権利許諾とはいいがたい。「AIの学習のために既存作品を使う許諾」と考えることもできるが、学習の結果生まれる作品も「手塚治虫」という存在と決して無関係ではない。

「故人のAI」を作る権利は誰にあるのか?

そう考えると、「手塚治虫AI」は「手塚治虫」という作家・人格そのものに極めて近いものの権利と一体になって生まれている。作品でなく作家そのもの(のように見えるもの)が一種のIPとして機能するとしたら、われわれも死後IPになるのだろうか。それはちょっと不思議な感覚だ。

自分の残したものが学習され、模倣されたり、自分の名前を冠したAIが生まれることより、誰かがその許諾をすることのほうがモヤモヤしたものが残る。

仮にそれが権利であれば、誰かに譲り渡されたりもするだろう。いつか知らない誰かが、自分のAIをつくる権利を管理するかもしれないということには、やはりどことなく違和感を覚える。かといって、自由にAIに取り込まれて商業化されても困る。

AIとコンテンツの法整備は、今後進んでいくことになる。そのなかで、AIと故人の権利関係も整理されていくのだろう。そのとき、今感じている「誰かのAIをつくる許可をすること」への違和感も消えているだろうか。使い道のなさそうな自分の文章や名前も、いつか誰かに管理委託されるのだろうか。

「AIがどのようなものを生み出しうるのか知りたい」「手塚の新作を読みたい」という素朴な好奇心とともに、死後権利化する自分について考えてしまうのだった。

小林 聖 ライター

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こばやし あきら / Akira Kobayashi

1981年、長野県生まれ。編集プロダクションなどを経て、2011年に独立。マンガ関連記事の執筆などを行いながら、サイト・ネルヤを立ち上げ、サイト運営、トークイベントなどを開催している。現在の年間マンガ購読数は約1000冊。

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