「論語」の教えがグサグサと胸に刺さりまくる 2500年読み継がれる最強ビジネス書の魅力
「宮廷で作られる歴史文書もすっかり変わってしまいました。昔は、小さな善行とでも呼ぶようなエピソードでも載っていました。例えば、馬を持っている人が持っていない人に貸してあげて、おかげでその人が馬を引くことができた、というような小さな出来事です。
そんな些事(さじ)を、と思うかもしれません。でも、歴史というものは、そのような目立たぬ、小さなエピソードでできています。ちょうどわたしたちの人生がそうであるように。そんな、人として持つべき正しい感覚を、かつての歴史文書は持っていたということなんですね」
「わたしがかつて、『巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いかな仁』といったのを覚えていますか。ただ口当たりがいいだけのことばを使いつづけていると……そういう人たちは本当に多いのですが……その人は内部から腐ってきます。ことばというものには、そういう力があるのです。
この世の中には、つまらないことがたくさんあります。その1つ1つに怒りたくなることもあるでしょう。我慢がならないと。踏みとどまってください。あなたの力をそんなつまらないことで消費しないでください。あなたには、やるべきことが、本当に怒らねばならぬことがあるはずなんですから」
大衆の移ろいには気をつけよ
「気をつけてください、大衆に。いえ、わたしは、大衆を信じるなといっているのではありません。彼らこそ、わたしたちが働きかけなければならない唯一の存在なのですから。信用してはいけないのは、彼らがする『判断』です。
なぜなら、彼らの判断はつねに揺れ動き、また、感情に支配されているからです。彼らが怒り、憎む人がいたら、疑ってください。そして、自分の目と心で判断してください。同じように、彼らが愛し、好み、喝采(かっさい)を送る人間にも気をつけてください。そこには危うい何かがあるのです」
「『真理』は自然に広がってゆくものではありません。人間を……あなたたちを通じて、この世界に広がってゆくものです」
「わたしたちは誰でも間違います。よく聞いてください、それは悪いことではないのです。わたしたちは不完全な存在です。そして絶えず間違える。間違えることによって、自分に何が足りないのかがわかるのです。
だが、過ちがあっても、それに気づかぬふりをする人がいます。その人間が大切にしているのは、かわいそうに小さな自分の自我なのです。それを守るために、彼は間違いに気づかぬふりをするのです。真の過ちとは、そのことです。もう一度いいます。過ちは大切です。過ちは、わたしたちを真理に連れてゆくパートナーなのです。どうか過ちに気づいてください。そして、気づいたら、自分を真理に向け直してください」
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