多くの人は「チケット転売」で実は得をしている 「ダフ屋」の行動が実は理にかなっている理由
ここですかさず、「価格による制限も金銭の多寡で人を差別しているではないか」との反論が返ってくるだろう。これはそうだとも言えるし、そうでないとも言える。見方によっては、ダフ屋は下層階級や中産階級を助けているからだ。
まったく職がないか、ほとんど仕事をしていない低所得者層の人たちには、列に並ぶ十分な時間がある。仮に働いていたとしても、もともとの給与水準が低いので、仕事を休んでも一般の人より影響が少ない。こうした雇用の選択肢がほとんどない人たちに、ダフ屋はビジネスチャンスを与えている。
実際、何の資本もない貧しい人たちが商売を始めるのに、ダフ屋ほど最適なものはない。先に述べた例で試算するならば、1000円のチケット10枚を1万円で買い、1枚8500円で売ることで、あっというまに7万5000円もの儲けを手にすることができるのだ。
中産階級の人がダフ屋に「助けられる」ワケ
中産階級の人々も、またダフ屋に助けられている。仕事に穴を開けたときの損害が低所得者層より大きいため、気軽に仮病を使って列に並ぶわけにはいかないからだ。8500円のチケット代が、会社に行ったなら得られたであろう1日分の給与より安いならば、ダフ屋を利用するのは彼らにとって十分に意味のあることである。
ようするに、ダフ屋は貧しい人々に仕事を与え、忙しくて列に並ぶ時間のない中産階級のためにチケットの購入代行をしているのだ。
金持ちは召し使いを列に並ばせればいいのだからダフ屋は必要ないが、ある意味で彼らは、その金持ちすら助けている──ダフ屋から買ったほうが、召し使いを列に並ばせるよりもチケット入手のコストはずっと安いのだから。
もっとも、ダフ屋がすべての人々に利益をもたらすのは取り立てて驚くべきことではない。市場経済は誰かが得をすれば誰かが損をする弱肉強食のジャングルではなく、自主的な取引は、双方が利益を得る模範的なケースなのだ。
そうは言っても、「価格による制限」が金持ちにとって有利な仕組みだというのは否定できない。彼らは、普通の人がとても手を出せない法外な値段のチケットでも、苦もなく買える。しかし、これこそが市場経済の本質であり、わたしたちが市場から利益を得ることを望む以上、受け入れざるをえないものなのだ。
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