発達障害の「診断名」に振り回される親子の悲劇 その子の興味関心すら「症状化」してしまう

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「うちの子は自閉スペクトラム症と診断されました。確かにミニカーを一列に並べたり、床屋のクルクル回るサインポールを飽きずに眺めていたり、電車や駅名をよく覚えていたりします。ほんとに教科書通りだなって。でも、最近になって、小学校の教室から飛び出しちゃうことがあって……もしかしたら自閉スペクトラム症ではなくて、多動症、ADHD(注意欠如・多動症)になったってことでしょうか?」

僕はお母さんの隣でじっと座っているその子に「なぜ教室を飛び出しちゃうの?」と聞いたところ、その子は「勉強がつまらないんだ」と教えてくれました。

診断名を出した瞬間に、「この子に近づく」というよりも、「その名称のことを学ぼう」というふうになってしまうこともあります。

育ち合う楽しみが奪われることも

診断名について熱心に勉強し、それが「〇〇な言動はこの障害の特性」「〇〇の特性に対しては、××な接し方をする」といった理解につながっていってしまう……。それももちろん、親御さんの一生懸命な思いの表れです。

しかし、それだけになってしまうと、その子と育ち合う日々の楽しみが奪われてしまうのではないだろうか……といった心配もしてしまうのです。

大事なことは、同じ診断名が付く子どもであっても、一人ひとり、その思い、言動はみな違います。まずはその子の思いに近づく努力をしたいと僕は日々思っています。

「自閉スペクトラム症のしょうたくん」「ADHDのあいちゃん」といった視点ではなく、その子どもの目線にまで達して、「しょうたくん、あいちゃんは、こんな気持ちではないでしょうか」というところから関わっていきたいのです。

●「やっぱり自閉スペクトラム症って……」とは言わないで

例えば、車のタイヤがクルクル回ったり、換気扇が回ったりするのを、ずっと見続けているようなお子さんがいたとします。そういう子に対して、「やっぱり自閉スペクトラム症って、こういう回るものが好きなんですよね」とひとくくりに表現してしまうのは、僕はその子に失礼だなと思ってしまうのです。

クルクル回るものを見て楽しむ子どもの気持ちが、「自閉スペクトラム症」という記号によって、「回っているものを見て、喜ぶ資質です」 といった説明で片付けられてしまうことに強い違和感も覚えます。

毎分何回、回っているんだろうとか、このスピードってどれくらい速いのだろうとか、回っているくせに、タイヤや換気扇自体は目が回らないのかなとか、そうやって考えているその子と付き合うと楽しいのに……と。

ほかにも「電車が好き」という男の子がいたとします。でも実は、好きな電車の世界の中にもいろいろあって、特急車両が好きな子もいれば、寝台列車が好きな子もいて、「キハ6000」の走行音が好きな子もいるし、路線図が好きな子も、無人駅が好きな子もいます。

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