人を「ハーフ」と呼ぶ人が無邪気にしている差別 日本が多様性を受け入れる前にすべきこと

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これまでに教えられ、使ってきた言語を疑おうとしないならば、これらの多くの言葉が持つ有害性に気づかないままになってしまう。

英語でも、日本語でもその他の言語でも、私たちが普段使う語彙の中には、人種差別主義者、女性嫌悪者をはじめ、傲慢な考えを持つ人々が作り出した言葉がかなり多く含まれている。こうした言葉を使い続けるのは、言葉が作られるのに欠かせなかった不穏な考え方を暗に受け入れるのと同じだ。

だが、時代は変わった。言語もまた進化する必要がある。

私は作家だからかもしれないが、言葉には力があると信じている。そして、麻生さんは政治家として、人前で発言する公人として、もちろん言葉の力を知っているはずだ。言葉は使う人によって万能薬にも毒薬にもなる。命を救いもすれば、奪いもする。それについては、誤って逆になることはありえない。

人口の2%がすでに非日本人

現在、日本の全人口1億2600万人のうち、2%超が非日本人である。国内では3%と言われる国際結婚の夫婦に生まれたミックスの人々はもちろん、アイヌなどのマイノリティーに属する人々も含まれる。このような国の指導者の1人が、急激に多様化する国を「1つの民族」と言い表すなら、申し訳ないが、それは私たちには必要のない毒である。

必要なのは、この毒の標的になっている人々に、心から共感を持とうとする努力だ。共感である。同情とは混同しないでほしい。

多様性を受け入れるプロセスの1つは、肌の色や文化、言語が同じ人だけでなく、出会うすべての人それぞれの中に、自分自身の姿を見いだそうとすることだ。

共感を持つのは簡単ではないし、とくにここ日本では難しいが、不可能ではない。私は日本のミックスの人々や、あらゆる国々のマイノリティーに共感できるが、大半の日本人にはおそらくできない。マジョリティーの一員であり続けるであろう人が多く、「非日本人性」を理由に差別を受ける側に回った経験を持たないからだ。

だから、日本人の多くは、例えば自分たちが、家主や雇用主が主義として(あるいは妙なステレオタイプから)非日本人を受け付けないせいで住宅の賃貸や就職を断られるなど思いもよらないのだ。ましてや、そのような屈辱的な目に遭ったときにどんな人間でも感じる精神的、心的、感情的な反応を想像するなど不可能である。

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