東京駅と丸の内、「師弟」で築いた赤レンガの街

「首都の玄関」の景観はこうして生まれた

丸の内一帯は、今でこそ多くのビジネスマンでにぎわう一等地になっている。しかし、三菱が手に入れる前は違った。一帯には明治半ばまで、約8万4000平方メートルにもおよぶ広大な陸軍の練兵場があった。

この練兵場が移転することになり、政府は跡地を払い下げようとする。まだ東京駅が開業する前だから、周辺は何もない茫洋とした荒野だ。そんな荒野に大金を払う者はなく、渋沢栄一が三井・大倉と結成したコンソーシアムと三菱財閥の2者だけが応札する。

しかし、政府の希望価格が高すぎたために入札は不調に終わった。その後、政府に頭を下げられて三菱は丸の内の土地を購入させられる。その代金は、三菱にとって大きな負担になった。丸の内を購入したことで三菱の屋台骨は揺らぎ、三菱財閥が消滅する危機もささやかれた。

しかし、そうした逆境をはねのけ、明治後期から昭和前期にかけて三菱村とも形容されるオフィスエリアが丸の内に形成されていく。

丸の内のオフィス街の第一歩を飾る三菱1号館は1894年に竣工した。その後も次々と三菱財閥が一帯の開発を進めていくが、三菱1号館をデザインしたのも、そして丸の内のオフィス街計画を主導したのもコンドルだった。

「師弟合作」の東京駅周辺

コンドルは、明治政府がイギリスから招聘したお雇い外国人として知られている。来日した当時は、まだ25歳の若者にすぎなかった。それでも、政府は高給でコンドルを雇用した。

まだ建築という概念が薄かった日本において、政府は後進の建築家を育成・指導するという重要な任務をコンドルに委ねた。政府の意向で、コンドルは工部大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授に就任する。

教え子には辰野のほか、コンドルとともに丸の内のオフィス街建設に取り組んだ曽禰達蔵、大蔵省に入省して庁舎建築の分野で名をはせた妻木頼黄といった逸材がいる。辰野・曽禰・妻木の3人は明治の建築界をリードした。いわば、コンドルの教えから日本の建築界は出発していると言っても過言ではない。

丸の内の仲通りは三菱関連の企業が連なり、三菱村を形成。冬季にはイルミネーションを実施し、多くの来街者が訪れる街になっている(筆者撮影)

東京駅は弟子の辰野が、そして東京駅前は師匠のコンドルが設計したわけだから、東京駅は師弟合作という総合芸術作品ともいえる。

コンドルは、単に西洋の建築技術や思想を最先端として日本に押し付けがましく広めることをしなかった。バルツァーと同じく、コンドルも来日後に日本の伝統文化に魅了された。多忙な仕事の合間を縫って、日本画の手ほどきを受けてもいる。そして、日本の美術・芸術の造詣を深め、そこから西洋建築にも調和するような庭園像なども模索した。

コンドルが主導した丸の内のオフィス街計画は、どことなく出身地であるイギリス・ロンドンを彷彿とさせる街並みになった。そのため、しだいに丸の内一帯は「一丁倫敦」と呼ばれるようになる。

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