三菱UFJ、異例づくしの新社長を待ち受ける難題 メガ初の理系トップでデジタル化を加速

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小山田氏のドタバタ人事の影響もあってか、平野氏はMUFGの社長を6年間務め、2019年にようやく三毛氏にバトンタッチをした。三毛氏は頭取に就任してから2年半、MUFGの社長就任からわずか1年しか経過しておらず、亀澤氏の昇格はまだ先だとみられていた。

これだけの短期間でMUFG社長の交代に踏み切ったのはなぜか。最大の狙いは、社長と頭取の兼任を解消することにあった。

三毛氏はこの1年間、ガバナンス上望ましくないとしながらも、あえてMUFGと三菱UFJ銀行のトップを兼ねることで、グループ全体の構造改革をスピードアップしようとしてきた。三毛氏が重視していたのが、これまでMUFGが続けてきたバランスシートの拡大に依存した成長からの転換だった。

変わる銀行トップの条件

国内の人口が減る中でいつまでも右肩上がりに資産を増やすことは難しい。成長が見込める海外も、外貨の流動性を考えた場合、資産を拡大し続けることにはリスクがある。三毛氏は経営の力点を質重視へと転換し、資産の効率性を高める経営へ舵を切ってきた。三毛氏が今回、わずか在任1年でトップを退くのも、「リスクアセットの削減を実現すると同時に、業務純益も反転するメドがついた」(三毛氏)からだ。

三毛氏は2019年4月にMUFG社長に就任して以来、「適材適所」を目標に掲げ、能力があれば年次が若い社員でも大胆に抜擢するという方針で人事制度改革を進めてきた。年功序列やローテーション人事によって失敗を恐れる文化を解消し、挑戦する文化へと移行するためには「トップ人事こそ、そうあるべき」(三毛氏)と1月17日の社長交代会見で振り返った。

実際、亀澤氏は1986年に三菱銀行に入行。1979年に三菱銀行に入行した三毛氏の7年下に当たる。かつて、三菱UFJのトップといえば、「東大・京大出身」「頭取4年間」「企画畑」といった王道ルートが存在した。しかし、三毛氏は初の慶応出身だ。

亀澤氏も、銀行員として歩んできた分野は市場部門や米州本部副本部長などで、2016年からはCIO(チーフ・インフォメーション・オフィサー)を担当。2017年からは新設されたCDTO(チーフ・デジタル・トランスフォーメーション・オフィサー)を担当している。「前任者のいない異動が多く、新市場の創設や新規事業参入をやってきた」(亀澤氏)と振り返るように、従来の王道から外れる存在だ。

こうした異例とも言える人事にMUFGが踏み切ったのは、銀行が変革期を迎える中で、トップに求められる条件や資質が大きく変化してきているからだろう。

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