長すぎる会見で「自己正当化」に終始したゴーン 証拠書類の字は小さすぎて見えなかった
ゴーン氏は妻キャロル氏と共に、おびただしいフラッシュがたかれる中、カメラが乱立するベイルートの真っ白な内装の会議室に入った。主催側は撮影者に退がるように求めた。演壇に立ったゴーン氏の隣に、ひげを生やした屈強そうなボディガードが並んだ。
ゴーン氏の登壇に先立ち、世界中から100人を超えるジャーナリストがレバノン・プレスシンジケートにある会議室に競って詰めかけた。セキュリティーチームがIDと鞄を検査し、レバノンの報道陣は日本の報道陣にゴーンの東京からの逃亡について取材した。
脱出については公式な説明なし
日本の有名人であり、レバノンの多くの人にとっては英雄でもある65歳のゴーン氏は1990年代後半から日産の再建を監督し、日産とフランスを拠点とするルノーという大企業2社を同時に経営する希有な立場にあった。
しかし、2018年末にそのキャリアは頓挫する。日本の検察当局に逮捕され、後に報酬額を過少報告し、私的損失を日産に転嫁した疑いで起訴されたのだ。日産もまた、ゴーンの収入を不適切に報告した罪で起訴されており、検察と協力すると述べていた。
ゴーンは、100日以上勾留され、その後は拘置所への出入りを繰り返した。保釈金を払い、厳しい保釈条件に合意した後に保釈された。その条件によって、東京から出られず、行動を監視されるようになったが、監視用アンクレットの着用は求められなかった。
昨年4月に再逮捕されたゴーン被告に対し、検察側は新たに妻との接触を禁じることを保釈の条件として課した。
ゴーン被告がどのようにして日本を脱出したかについては、まだ公式の説明がなされていない。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙をはじめとする複数の国のニュースメディアは、その経緯について何が起きていたと見られるのか基本的な概要を明らかにし、報道している。
12月29日の午後、ゴーン被告は徒歩で東京の自宅を出た後、新幹線に乗り、大阪に向かっている。 その後関西国際空港で、コンサート用機器を運搬するために設計された箱の中に身を隠し、プライベートジェットに乗り込んだ。
イスタンブールのアタチュルク空港に到着した同氏は、別の飛行機に乗り換えてベイルートに向かったのである。8日の会見では、脱出について話すつもりはないことをゴーン被告は冒頭で記者団に対し述べている。「私は、日本を脱出した理由についてお話しするためにここにいる」と同氏は語った。
(執筆:David Yaffe Bellany記者, Ben Dooley記者、Vivian Yee記者)(C)2020 The New York Times News Services
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