「スター・ウォーズ」日本人CG担当者の異色経歴

45歳で証券会社勤務からハリウッドの世界に

いろんな展示会を訪れて、レポートを書く仕事だったのですが、1997年に「ゲームデベロッパー・カンファレンス」を訪れたとき、「ライトウェーブ」というソフトで作ったCGアニメーションのデモを見て驚いた。いとも簡単にモデルを作って動かしていたからです。それで初めて『トイ・ストーリー』がどうやって作っているかがわかった。同時に、これなら自分もできるんじゃないかと思いました。

ルーク・スカイウォーカーを探す旅をつづける、レイ(右)と、忠実な副操縦士、チューバッカ(左) ©2019 ILM and Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.

その場でソフトを買って、そこから3年間ずっと、独学で勉強をしたんです。1999年にはいいところまでいったんですけど、父親の病気や出産などが重なって、夢を追うのが嫌になってしまった。それで一度、夢をあきらめてしまいました。

――しばらくは、アメリカでの仕事を続けていたわけですね。

それから8年間はずっとアメリカに駐在していました。最後の3年間はニューヨークにいて、サブプライムやリーマンショックにも遭遇した。そして、日興証券がアメリカのシティグループに買収されるということになり、僕も日本に帰らなければいけないことになったのです。僕はその時点で15年、アメリカにいたのですが、子どももアメリカで生まれたということもあって、日本に帰るべきかいろいろと悩んでいました。

リーマンショックが転機のひとつに

――そこで別のキャリアを模索しようと。

ちょうどその頃、昔からの友人がドリームワークスに入ったという話を聞いたり、CGアーティストの方に、僕の昔のデモリールを見てみてもらったら、「これならいけそうだ」と言っていただいたりした。

いろんなところで背中を押されたんです。昔は仕事をやりながら挑戦して、何とかいくような世界だったんですけど、今では中学生でもCGをやるような時代。チャレンジするなら会社を辞めて、後戻りできない状況にまで自分を追い込んだほうがいいと思い、学校に行って学ぼうと思ったんです。

――その決断が、今に至るわけですね。

ただ僕は『スター・ウォーズ』がやりたくてこの世界に入ったわけではありません。僕が始めようとした時はすでに『スター・ウォーズ』は完結していましたし、誰も『スター・ウォーズ』が続くなんて思っていませんでした。とにかく映画の世界に入って。ハリウッド映画のクレジットに、自分の名前を載せたい、という夢だけで始めたんです。最初は本当に小さい仕事から始めて、だんだんステップアップして、ILMに入ったということなんです。その辺の経緯を話すと長くなってしまいますけどね(笑)。

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