トイザラスに見る「圧倒的強者」の転落パターン 「eコマース」という新規事業をつかみそこねた

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そして1990年代には本格的な海外展開にも乗り出します。日本においては、藤田田氏率いる日本マクドナルドと提携して、1991年に参入しました。この動きは、玩具店を中心とする地元からの反対運動を引き起こし、日米の経済摩擦問題にもつながるほどのインパクトを与えた事例となりました。小売業1社の参入がこれだけの注目を浴びたのは、トイザラスの「カテゴリーキラー」としての破壊力が強大だったからにほかなりません。

しかし、それだけ勢いがあったトイザラスに、陰りが見え始めたのは1990年代後半でした。1990年代前半まではアメリカ国内シェアが25%あったものが、1998年には17%まで落ち、1億3200万ドルもの純損失を出してしまったのです。

その背景は、eコマースの台頭でした。

eコマース事業への入り方を完全に失敗

玩具のネット販売にいち早く参入したのは、カリフォルニア発のベンチャー企業イートイズでした。イートイズのサイトは、トイザラスと比較して圧倒的に使い勝手がよく、品ぞろえも豊富で、商品によってはトイザラスの10倍以上のラインナップがありました。

トイザラスはイートイズに遅れて1998年6月にネット販売を開始。しかし大事なクリスマス商戦で商品の遅配を起こし、訴訟沙汰になるなど体制の不備を露呈し、ブランドイメージを大きく毀損することになりました。ここからトイザラスの迷走が始まります。

1999年1月にはトイザラス・ドット・コムとしてネット販売専門の子会社を立ち上げ、ベンチャーキャピタルから資金調達を行い、8000万ドルを投資しました。しかし、それだけの投資をしたにもかかわらず、トイザラスは既存の店舗への配慮を優先させ、トイザラス・ドット・コムに価格決定権などの自由を与えませんでした。

本来トイザラス・ドット・コムは、トイザラス本社から離れ、イートイズなどeコマースの競合に対する戦略を立てるミッションがあったはずなのですが、本社からは厳しい制約が課せられ身動きが取れなくなってしまいます。トイザラス・ドット・コムの初代CEOは、就任間もないタイミングで本社に愛想を尽かして辞めてしまいます。

その一方で、トイザラスは2000年、eコマースへのテコ入れのため、アマゾンとの10年間もの長期パートナーシップ契約を結びます。トイザラスのウェブサイトでクリックするとアマゾン内の専用サイトに飛ぶ、という仕組みで、トイザラスはこのアマゾンへのアウトソースに年間5000万ドル+販売手数料を支払う代わりに、アマゾンはトイザラス以外の玩具は販売しない、という契約でした。

トイザラスはこの契約によってオンライン部門の売り上げは確保したものの、収益ベースでは黒字化には至りませんでした。そして、この長期契約はアマゾンによってあっけなく打ち切られます。アマゾンがイーベイに対抗するために、トイザラス以上の玩具ラインナップが必要になったためです。アマゾンは仕入先を強化するために、5000万ドル近い違約金を支払い、トイザラスと手を切りました。

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