「理由なき不登校」に苦しむ子がN高で見た光明 「学校に行けない僕は失敗作」からの転換

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やはり、当事者でなければ難しいのかもしれません。なかには誹謗中傷的なことを言う人もいました。

「僕は失敗作なんだ」、本気でそう思っていました(写真:不登校新聞)

だけど、僕みたいな理由のない不登校があるのもうそではありません。誰からも理解を得られなかったこのころが、僕にとってはいちばんつらい時期でした。

自分の気持ちを100%理解してくれる人が誰ひとりとしていない、絶望的な孤独感がありました。

僕は4人きょうだいの末っ子で兄姉たちは全員、高校や大学へ進学しています。「僕は失敗作なんだ」、本気でそう思っていました。

不登校の人はよく思うそうですが、僕も「学校が爆破されて消えてしまえばいいのに」と思ったこともありました。

「一本道しかない」そう思っていた

不登校になって4カ月後。親から「学校に診断書を提出しないといけないから」と言われ、病院でカウンセリングを受けました。

学校から「病気なのか、サボりなのかをはっきりさせてくれ」というようなことを言われていたようです。

診察の結果は、起立性調節障害でした。「なんだ、その病気?」と最初は思いましたが、夜眠れないことを話すと、睡眠剤のような作用がある薬が処方されました。

それを飲むようになってからは、夜眠れるようになりました。でも、だからといって学校へ行きたいとは思わなかったんですが(笑)。

その後、一度だけ親にすすめられたフリースクールを見学しましたが、親も僕も相性が合わず、その話はフェイドアウト。塾も行かず、中1の2学期からはずっと家で過ごしています。

いまだに不登校になった決定的な理由はわからないままですが、「学校へ行かなきゃ」というプレッシャーはつねに感じていたように思います。

夜、眠れなかった理由は、今思うとたぶん不安感があったから。学校へ行っていなくても、学校がある日は毎日「明日は学校か」、そう思っていました。

「学校へ行かなきゃ」と思う気持ちが毎日、自分のなかに降り積もり、「学校へ行けない自分」を背負い続けていたように思います。

僕は当時、自分が進む道は「学校へ行く」、その1つしかないと思っていました。

たった1つしかない一本道が行きどまりになってしまった。僕にはそれがものすごくつらいことでした。

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