また、富山と首都圏を結ぶルートについても、急ぐ場合は富山-羽田間の航空路線を使い(ANAは10月14日以降、臨時便の運航や機材の大型化を実施)、そうでなければ、富山と池袋・新宿を結ぶ高速バスか、富山~名古屋を高速バスで、そのあとは名古屋~東京を新幹線で移動するルート、あるいは富山~三条燕を高速バスで行き、上越新幹線の燕三条駅から東京へ向かうルートが、富山の地元の鉄道・バス会社である富山地方鉄道のホームページで、北陸新幹線の代替ルートとして案内されていた。
富山と池袋を結ぶバスは、10月17日以降28日まで一日1~2往復の増便を行っている。
普段はライバルでも災害時には協調を
こうしたケースを見ていて感じるのは、地震や台風、豪雪などいつ大災害が起きるかわからない日本では、複数のアクセスルートがあって相互に補い合いながら、何とか移動ルートを確保することの大切さである。鉄道と航空機、鉄道と高速バスは普段はライバル関係にあるケースが多いが、大規模な運休が見込まれたときは、動いているほうの情報を正確に共有して乗客を適切に誘導する体制を整えることである。
9月9日には、成田空港へのアクセスが鉄道・バスともに完全に閉ざされ、1万3000人余りの利用者が空港内で一夜を明かすという事態が起きた。成田空港から東京方面へ向かう京成電鉄、JR成田線の不通および東関東道の閉鎖で、公共交通がほぼストップしてしまったからだが、午後4時45分には圏央道経由で東京までの高速道路が通れるようになっていたし、ほぼ同時刻には京成佐倉まで向かえば東京への鉄道の運行が再開されていた。
混乱の最大の原因は、アクセスがストップしている間も着陸機が成田にひっきりなしにやってきて、大量の利用者が滞留したからではあるが、鉄道と道路を合わせた全体状況を把握し、バスと運転手が確保できれば、最寄りの運行駅までピストン輸送することで滞留をもっと少なくできた可能性がある。もちろん、これは混乱が起きてからでは遅く、あらかじめシミュレーションをしておかなければいきなりでは対応できないことであるが。
残念ながら「数十年に一度の災害」は、毎年どころか一年に何度も起こるかもしれない時代に入ったことを予感させた今秋の相次いだ災害は、安全の確保を最優先にしながらも、人が自由に移動することができる権利である「移動権」を、どのように災害後に確保していくのかという課題を突きつけたといえよう。
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