旧北陸線跡、明治のトンネルが語る鉄路の歴史 かつて蒸気機関車が苦闘した急勾配区間
福井と米原の間には2つの難所があった。ここまでたどってきた「山中越え」と、これから向かう「柳ケ瀬越え」だ。
敦賀市内から北陸本線に沿って国道8号を行くと、やがて疋田の集落が見えてくる。国道161号との分岐点を左へ行くと、「柳ケ瀬越え」と呼ばれた旧北陸線の福井・滋賀県境を越える難所へと向かう。
国道8号を進むと、北陸自動車道に接近する曽々木地区で県道140号が分岐する。この県道が旧北陸線の廃線跡だ。県道の頭上には北陸道が走り、この高速道路がかつての旧北陸線に沿って建設されたことがわかる。
しばらく進み、右に目を向けるとこじんまりした石造りのトンネルが見えてくる。1881(明治14)年に竣工した全長56mの小刀根(ことね)トンネルだ。日本人技術者によって造られた国内2番目の鉄道トンネルで、建設当時の姿で現存(通行できる)するものとしては最古の鉄道トンネルである。
トンネルの内部は岩盤の露出部分とレンガ積みの2段になっており、当時の技術を今に伝える存在だ。また、D51を設計する際はこのトンネルの車両限界を参考にしたとされている。
北陸本線の長い歴史
小刀根トンネルを抜ければ、程なく刀根の集落にさしかかる。刀根駅は25‰の斜面にあることからスイッチバック駅となり、最大の難関の駅でもあった。
県道140号をさらに進むと、福井・滋賀県境を越える柳ケ瀬トンネルにさしかかる。1884(明治17)年に完成したこのトンネルは当時日本最長(1352m)を誇った。廃線後は国鉄バスの専用道となっていたが、現在は一般道として開放され、6分30秒ごとの時差信号でコントロールされている。滋賀県側入口の傍らには、かつてトンネルの扁額だった伊藤博文筆による「萬世永頼」の碑が記念碑として建っている。
トンネルを抜けて滋賀県に入ると、柳瀬駅跡を経て木之本に至るが、その手前の中之郷駅跡にはホームと駅名表示板があり、駅の痕跡を留めている。旧北陸線の鉄道遺構群が明確に残っているのは、ここ中之郷までであるが、北陸本線発祥の地、日本最古の駅舎「長浜駅」に足を運べば、さらに北陸線の歴史が見られようというものだ。
日本の鉄道史上で栄華と栄光の歴史を培ってきた北陸本線。2023年の北陸新幹線敦賀延伸、さらに敦賀以西延伸の際には、再び大きな変化が起きることであろう。はたして今後の展開はいかに、といったところである。
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