南今庄町では、当時を彷彿とさせる観光バス「SLバス」による廃線跡探訪ツアーを不定期ながら実施している。D51の形状に、敦賀機関区所属の機関車が煙突に取り付けていた「敦賀式集煙装置」まで再現したラッピングバスで、大型バスでは通れない旧北陸線のトンネル群を通過する特別仕様車だ。
今庄から県道207号線を杉津(すいづ)方面に向かい、南今庄駅付近の北陸トンネルを横目で見つつ進むと、やがて大桐駅跡のプラットホームが見えてくる。現役当時は列車交換可能な駅だったが、廃線後の線路は県道に変わり、ホーム上には駅名表示板と蒸気機関車の動輪などが展示されている。
大桐の集落を過ぎると道(かつての線路)は大きく左にカーブして、25‰(パーミル)勾配の大築堤になる。かつてD51が闊歩していた頃は絶好の撮影地だっただろうと想像できる。築堤が終わる頃、行く手には雪崩や落石除けのロックシェッドが見えてくる。その天井にはかつてD51が吐き出した煙の跡の黒い煤がはっきりと残っている。
思い出の中の北陸線旧線
筆者にとって、北陸線旧線は幼い頃から中学時代にかけての思い出の鉄道である。小学低学年だった頃、祖父と杉津へ海水浴に行った。武生から乗り合わせた列車には京都の本願寺参りの仏教徒が団体で乗っており、今庄駅でD51の後部補機を連結して勾配に挑んだ。
山中トンネルに突入するとたちまち客車に煙が充満して、全体が見渡せない視界となり恐怖すら感じた。すると車内で団体の乗客たちが一斉に「南無阿弥陀仏」のお題目を連呼する一種異様な車内となった。私の恐怖心はさらに強まり、祖父の腕にしっかりしがみついていた。
旧北陸本線跡をたどる
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北陸トンネルを飛び出す特急列車
(筆者撮影)
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今庄駅を発車するD51形牽引の列車
(写真:南越前町観光まちづくり課)
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今庄駅に残る給水塔と石炭積所
(筆者撮影)
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今庄駅の待合室に展示されているジオラマ
(筆者撮影)
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かつて今庄駅にあったそば屋
(写真:南越前町観光まちづくり課)
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今庄の街並みには「うだつ」のある古い商家が残る
(筆者撮影)
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大桐駅跡に停車する「SLバス」
(筆者撮影)
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かつての山中信号場の様子
(写真:南越前町観光まちづくり課)
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国指定登録有形文化財の山中ロックシェッド
(筆者撮影)
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長さ310mの第二観音寺トンネル
(筆者撮影)
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杉津駅の跡は北陸自動車道のPAになっている
(筆者撮影)
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杉津PAには駅跡を示す碑と松尾芭蕉の句碑がある
(筆者撮影)
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1895(明治28)年ごろ建設された曽路地谷トンネル
(筆者撮影)
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旧線で2番目に長かった(979m)葉原トンネル
(筆者撮影)
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かつて蒸気機関車が走った葉原付近の線路跡
(筆者撮影)
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新保駅の跡には記念碑が建つ
(筆者撮影)
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全長87mの樫曲トンネル
(筆者撮影)
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旧敦賀港駅に残る赤レンガのランプ小屋
(筆者撮影)
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赤レンガのランプ小屋は1882(明治15)年の建築だ
(筆者撮影)
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貨物駅時代の敦賀港駅舎
(筆者撮影)
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敦賀港線現役時代の貨物列車(2007年撮影)
(筆者撮影)
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往年の姿を再現した旧敦賀港駅舎。資料館になっている
(筆者撮影)
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1881(明治14)年建設の小刀根トンネル
(筆者撮影)
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下が石積み、上がレンガ造りの小刀根トンネル
(筆者撮影)
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柳ヶ瀬トンネル(右)と伊藤博文筆のかつての扁額
(筆者撮影)
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かつての扁額には「萬世永頼」と刻まれている
(筆者撮影)
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柳ヶ瀬トンネルの記念碑
(筆者撮影)
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中之郷駅の跡地
(筆者撮影)
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現存する日本最古の駅舎建築である旧長浜駅舎
(筆者撮影)
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北陸線電化記念館に並ぶD51(奥)とED70
(筆者撮影)
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北陸トンネルの敦賀側出口
(筆者撮影)
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