旧北陸線跡、明治のトンネルが語る鉄路の歴史

かつて蒸気機関車が苦闘した急勾配区間

その山中トンネルは、今も道路トンネルとして現役だ。車のすれ違いができる幅はないが、出口が見通せる直線なので時差信号機はなく、対向車が来ていないことに注意して通行する。旧線跡に残る大小のトンネルは当時主流だったイギリス積み、アーチは長手積みの工法が用いられ、トンネルごとにその違いが見られ興味深い。

急勾配の難所だった旧線のサミット(頂点)である山中トンネルの今庄側には、現在もスイッチバックの信号所の跡がしっかり保存されている。

杉津PAから見た敦賀湾。旧線の杉津駅は絶景の駅として知られていた(筆者撮影)

筆者の思い出の杉津駅跡は、現在は北陸自動車道上り線の杉津パーキングエリア(PA)内にある。廃線跡の道路から自由に出入り可能で、駅跡の表示と芭蕉の句碑がある。思えば山中のこの駅からはるか1.5kmの海岸までよく歩いたものだ。同PAの下り線側からは敦賀湾の眺望と同時に上りPAの廃線跡が望める。

さらに進むと、旧線で第2の長さを誇る葉原トンネル(979m)だ。ここは交互通行用の時差式信号が設置されている。かつては葉原地区にスイッチバックの信号所も存在していた。

「命のビザ」ゆかりの駅

葉原トンネルを抜けると道路は右に大きくカーブを描く大築堤を下っていく。ここは25‰勾配で、列車がこの築堤を登る姿は迫力満点、圧巻の風景だったであろう。ここから北陸道とほぼ並行しながら新保駅跡へと向かう。駅の痕跡はなく、北陸道との隙間にある「新保駅跡」の石碑で確認できるのみである。

「敦賀鉄道資料館」となっている旧敦賀港駅舎。往時の駅舎を再現して1999年に建てられた(筆者撮影)

やがて敦賀の市街地に至るが、金ケ崎地区の旧金ケ崎駅(敦賀港駅)には廃線後も明治15年建築の赤レンガのランプ小屋が現存している。往年の姿を再現した駅舎もあり、鉄道資料館となっている。

かつてこの駅は、大陸と日本本土を結ぶ船と鉄道の連絡駅だった。敦賀港は、1940年にリトアニアのカウナス日本領事代理・杉原千畝が発行した「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸した港でもあり、ナチスの迫害を受けたユダヤ人たちはここから鉄道にて日本各地へ、そしてさらに世界中へ新天地も求めて旅立ったのである。

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