サッカーは旦那さんの意向によるものです。旦那さんは子どもの頃からサッカーをやっていて、もう少しでインターハイに出られそうなところまでいきました。それで、子どもができたら、ぜひサッカーをやらせたいとずっと思っていたのです。それで5歳のときから息子をサッカー教室に通わせるようになりました。いつかインターハイの試合会場でその雰囲気を味わいたいと、その日を心待ちにしていました。
ピアノにしろサッカーにしろ、子ども自身がやりたいものではありませんでした。親に言われるままに続けてはいたのですが、進んで頑張る気など出るはずもなく、才能的にも向いていませんでした。当然、上達するはずもなく、中学年になる頃から親や指導者に叱られることが増えてしまいました。その結果、鬱病的な症状が出るようになったのです。
でも、藤井さん夫妻は、心療内科で指摘されるまでピアノとサッカーが原因だとは気づかなかったそうです。指摘されて初めて自分たちの夢や思い込みのために子どもを犠牲にしていたことに気づき、その不明を恥じ、ピアノとサッカーはやめさせて、何事においても息子自身の気持ちを優先する方向に舵を切りました。すると、息子がだんだん元気になってきました。
このように、親が子どもを搾取している例は非常にたくさんあります。とくに、習い事、中学受験、塾通いなどでよくあります。また、子どものためと思っている“しつけ”も、その多くは親の見えのためであることが多いです。要するに、自分はしつけができるしっかりした親だということを示すために、子どもを犠牲にしているのです。
子どもにとってはいい迷惑です。世間体を気にする親は「人によく思われたい」という気持ちが強いので、そうなりがちです。十分気をつけていないと、無意識のうちに子どもを犠牲にしてしまうことになります。
「ごんぎつね」を20時間も教える教師の“事情”
3つ目は「学校の教師が子どもを搾取」している例です。愛知県の小学校教師・岡本先生(仮名)の話です。30代の岡本先生は、次年度の校務分掌で研修主任になりたいという強い希望を持っていました。教師の世界では、研修主任は花形的な存在であり、授業が上手で指導力がある人がなると見なされています。そして、将来校長などの管理職に進む出世コースの始まりでもあります。
研修主任に任命されるためには、校内の同僚が一斉に授業参観する公開授業を成功させなければなりません。岡本先生は国語の「ごんぎつね」という物語で主人公・ごんの気持ちを話し合う授業をすることに決めました。最後のクライマックスの場面で、銃で撃たれたごんがどんな気持ちでいたかを話し合う授業です。
なぜこの場面にしたかというと、ここはいろいろな解釈が可能で、子どもたちがたくさん発表しやすいからです。発表が多ければ、活発で生き生きした授業ということになり、先生の評価が高まるのです。
岡本先生は「ごんぎつね」の授業に20時間(正確に言うと45分の授業を20回)かけました。普通にやれば10時間なのですが、時間をかけて念入りにやることで子どもたちの読み取りが深まれば、公開授業での発表も増えるからです。しかも、公開授業の前日に発表の練習ということでリハーサルのような授業も行いました。もちろん、これはほかの先生には内緒でこっそりやったのです。
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