なぜ西武と阪神は「プロ野球」にこだわるのか かつて参入した鉄道会社は経営から次々撤退
しかし、鉄道会社の勢力は徐々に衰えていく。1953年、名鉄がドラゴンズの経営から撤退し、1954年に球団名を中日ドラゴンズに戻す。同年、東急もフライヤーズの経営をグループ会社の東映へ委託し東映フライヤーズに改称、さらに1973年には日拓ホームへの売却が実行されて、東急は球団経営から完全に撤退する。
またこの間、1965年には国鉄がサンケイ新聞とフジテレビにスワローズの経営権を委譲し撤退、球団名もサンケイスワローズに改めた。1972年には、西鉄がロッテオリオンズのオーナーである中村長芳にライオンズを運営する西鉄野球を売却し、会社名を福岡野球に、球団名を太平洋クラブライオンズ(太平洋)にそれぞれ改称する。
西武は鉄道会社で最後に参入
一方、1978年には、西武グループの国土計画(後にプリンスホテルへ吸収合併)が太平洋改めクラウンライターライオンズの運営会社・福岡野球を買収のうえ、球団名と会社名を西武ライオンズと改称し、本拠地を埼玉県所沢の西武ライオンズ球場に移転する。現在までのところ、西武が鉄道会社としては最後のプロ野球参入となっている。
しかしその後も、鉄道会社の撤退は続いた。1988年には南海ホークスが大手スーパー・ダイエーへ、そして阪急ブレーブスがオリエント・リース(現・オリックス)へ譲渡される。阪急電鉄による球団譲渡は、川崎球場で近鉄バファローズがパ・リーグ優勝をかけて、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)とのダブルヘッダーを繰り広げた10月19日に発表された。
その近鉄も経営難を理由に、2004年に近鉄バファローズ改め大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併を発表し、合併に反対するプロ野球選手会とファンを巻き込むプロ野球再編問題の引き金となった。合併反対の世論が盛り上がる中、プロ野球オーナー会議でオリックスと近鉄の合併が承認され、オリックス・バファローズとなる。
一方、近鉄の消滅を受けて、楽天の新規参入が認められ、仙台の宮城球場を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルスが発足。これにより、セ・パ12球団の体制が維持されることとなった。
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