多目的トイレ使う健常者が全く気づかない視点 障害者の不便な現実から逆算する必要がある
障害者と健常者の共創を目指しNPO法人D-SHiPS32の代表を務め、障害者の理解促進にも取り組んでいる。
可視化されづらい障害者の不便や障害者側の課題、障害者から見た東京五輪への懸念などについて、リディラバジャーナル編集長・安部敏樹が話を聞いた。
多目的トイレは“多目的すぎる”
安部敏樹(以下、安部):今回、障害者を取り巻くさまざまな不都合について、当事者である上原さんに伺いたいんですが、まずは「日本でのバリアフリー、全然足りないでしょう!」という心の叫びを聞きたいなと。いろいろな場面でそう感じる機会は多いと思うんですが。
上原大祐(以下、上原):日本でのバリアフリーは進んできているとは思うんですね。ただその多くがポーズになってしまっていると感じます。
例えば、僕のような車いすユーザーが使うトイレは「多目的トイレ」とか「だれでもトイレ」というものです。でもあれ、僕ら当事者からすると、「“多目的すぎる”トイレ」「“だれでもすぎる”トイレ」なんです。
安部:どういうことですか。
上原:ああいうトイレは、複数のマーク付いているじゃないですか。車いすマーク、ベビーカーマーク、ご高齢者マーク、妊婦さんマーク……。
用を足したり、おむつ替えをしたりするのに数十分かかるなど、とにかく時間がかかる人たちが使うわけです。そういう人たちを1カ所に押し込んでしまっている。
さらに健常者も使えてしまう。だって、「だれでもトイレ」という名前だから。もちろん、LGBTの人たちとかにとって必要な場ではあるんですけどね。