飛鳥山公園に今も残る渋沢栄一ゆかりの名建築 晩香盧と青淵文庫内部を360度カメラで撮影

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「青淵文庫」の外観(撮影:梅谷秀司)

一方の青淵文庫は、晩香盧の8年後、1925年に竣工している。渋沢の傘寿を祝賀して建てられた建築だが、完成したのは渋沢が80歳になった5年後ということになる。こちらの建物の設計も田辺淳吉だが、田辺が清水組から独立した後の作品。そして、建物を寄贈したのは竜門社という渋沢栄一の書生たちが立ち上げた勉強会(現在の渋沢栄一記念財団)である。

ステンドグラスに「寿」の文字が入る(撮影:梅谷秀司)

この青淵文庫の建物でまず目をひくのは外観の5本のタイル貼り列柱とステンドグラスだろう。その内側にあたる1階の閲覧室に入ると、ステンドグラスは一層華やかに見える。

渋沢家の家紋である柏の葉、傘寿のお祝いということでの「寿」の文字、実りを意味するドングリなどが柄に取り入れられている。

竣工後は主に接客の場として使われた

“文庫”の名前のとおり、建物は図書館として建設され、1階には閲覧室、2階には書庫がある。当初は『論語』をはじめとする漢籍やそのほかの資料が収蔵される予定であったが、建設中の1923(大正12)年の関東大震災でそれらが焼失し、竣工後は主に接客の場として使われることになった。

2階の書庫は、防火のために扉は鋼鉄製、飛散しない網入りガラス窓を備えている。そして書庫と1階とを結ぶ階段は、この建物のハイライトとも言える空間。曲線を描く美しい手すりに、窓から柔らかな光が注ぎ、上階へと吸い込まれていきそうな雰囲気をたたえている。

「青淵文庫」の内部(編集部撮影)
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