1階の予備室には、渋沢邸を訪れた賓客の写真が展示されているが、その中には中国国民党総裁となった蒋介石やインドの詩人タゴールの姿もある。このほか、この飛鳥山の渋沢邸のできた1979年にはアメリカ大統領を務めたグラント将軍も、この王子の渋沢邸を訪ねている。
そもそも、お祝いに建物を贈られるなどということもめずらしいことだと思うが、このほかにも渋沢栄一に贈られた建物には、現在、出生地である深谷に移築されている誠之堂というレンガ造の洋館もある。こちらは、渋沢が創設し初代頭取を務めた第一銀行の行員たちが、渋沢の喜寿を祝して、1916(大正5)年に東京の世田谷に建てたもの。
清水組と渋沢の関係
この建物の設計も清水組時代の田辺淳吉。清水組と渋沢には、清水の草創期(1887年から1916年まで)から渋沢が同社の相談役を務めてきたという縁がある。
飛鳥山邸以前に渋沢が住んだ深川福住町の邸宅は、その後、都内の港区三田に移され、現在は青森県内に移築されている。その渋沢邸を、清水建設が、東京都の江東区潮見に移築するプロジェクトを発表している。この邸宅を手がけたのは、清水組2代目の清水喜助だった。
新1万円札のニュースとともに渋沢がクローズアップされているなか、関連する建築巡りで渋沢栄一という人物の偉大さを知るというアプローチ法もありそうだ。
「晩香盧」と「青淵文庫」
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晩香盧の談話室。内装と家具のデザインは森谷延雄
(撮影:梅谷秀司)
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暖炉の位置を中央からずらし、空間に奥行きを持たせている
(撮影:梅谷秀司)
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暖炉の両脇にもステンドグラスが見られる
(撮影:梅谷秀司)
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談話室の照明。鶴の柄が描かれ、淡貝の薄片を使用
(撮影:梅谷秀司)
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渋沢の長女・穂積歌子が晩香盧の建物名由来などを書いた撰
(撮影:梅谷秀司)
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天井には石膏型抜きの、ぶどう、鳩など動植物のデザイン
(撮影:梅谷秀司)
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内部に銅板を貼った火鉢が入った六角形の暖房器具
(撮影:梅谷秀司)
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長椅子の背板には、笹葉紋のほか可愛らしいハート型が
(撮影:梅谷秀司)
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青淵文庫の閲覧室。ステンドグラス、タイルが華やか
(撮影:梅谷秀司)
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閲覧室。家具、照明、壁部の電気ストーブなどにも注目
(撮影:梅谷秀司)
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2階へと誘われるような階段。照明、手すりも美しい
(撮影:梅谷秀司)
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玄関の床タイル。通常はマットに覆われているが実は見どこ
(撮影:梅谷秀司)
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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki
1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。
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