小泉進次郎という政治家を徹底分析してみる この10年の活動や成果を総括して見えた課題

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小泉さんという政治家を分析する際、非常に重要なのは大学卒業後に経験した約3年間のアメリカ留学です。彼はコロンビア大学大学院に進学し、日本政治を専門とするジェラルド・カーチス教授の下で学びました。この時代に一定の英語力を身に付け、自らの考えを人前で話す技術も習得します。そして、非常に重要なのが、留学3年目に所属したCSIS(戦略国際問題研究所)での経験です。

小泉進次郎(こいずみ しんじろう)/1981年生まれ、横須賀市出身。関東学院大卒業後、アメリカ・コロンビア大学にて政治学修士号を取得。戦略国際問題研究所(CSIS)研究員を経て、2009年から衆院議員を務める(撮影:尾形文繁)

この機関はワシントンDCにあるアメリカ陸海軍直系のシンクタンクで、日本外交に多大な影響力を持ってきたリチャード・アーミテージなどが理事を務めてきました。小泉さんが所属していたときの日本部長はマイケル・グリーン。ブッシュ政権のNSC(国家安全保障会議)上級アジア部長です。

小泉さんは、ここでジャパンハンドラーズの代表的人物とつながり、影響を受けます。彼らは日本の有力政治家と接触し、自らの利益にかなう方向へと誘導することで知られます。小泉さんの外交・安全保障観は、親米を軸に構想されています。

後で述べるように、父と同様、アメリカの意向に沿うような構造改革・規制緩和路線を基調としています。この姿勢はCSISでの経験を抜きに考えることはできないでしょう。帰国後、小泉さんは父の秘書を務め、選挙基盤を受け継ぐ形で、2009年衆議院選挙に出馬します。

民主党政権に対抗し「自助」を強調

この選挙は、自民党にとって大変な逆風でした。小泉内閣の後、安倍内閣・福田内閣が短命に終わり、世の中ではリーマンショックによる貧困・格差が大問題になっていました。自民党のとってきた新自由主義路線が、厳しい批判にさらされます。

さらに厳しかったのは、自民党のなかから激しい世襲批判が出ていたことです。その代表格が菅義偉さんで、選挙に向けて「世襲制限論」を訴えていました。

民主党による政権交代への期待と自民党批判。そして世襲批判。小泉さんは、いきなり逆境に立たされます。

選挙中には足を踏まれたり、ペットボトルを投げられたりしたといいます。時には名刺を目の前で破られ、演説中に「うるさい!」「世襲反対」と野次られました。小泉さんの耳には、さまざまな罵詈雑言が耳に入り、「いちいちへこ」んだといいます(前掲『WiLL』2012年9月号)。

結果、小泉さんは当選したものの、自民党は惨敗を喫し、民主党による政権交代が実現します。小泉さんは野党議員として、政治家人生をスタートすることになりました。

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