10年前まで、日本の男子高校生の1割ほどが硬式野球部員だった。中学軟式野球に至っては、2割に近かった。
野球は平成時代の中期まで圧倒的な人気を誇っていた。まさにナショナルパスタイムだったのだ。
「そういう状態のほうが異常なんだよ。今のようにサッカー、バスケットボール、卓球、水泳とみんなが好きなスポーツをするほうが、よっぽど健全だよ。それに少子化が進んでいるんだから、競技人口が増えるなんてありえないよ」
そういう声もよく聞く。
たしかにそうなのだろうが、当の野球関係者にとってはのんきに構えていられるはずもない。
問題は、シェアが落ちたことではなく「下げ止まっていない」ことである。今後、他のスポーツと共存することは不可避としても、ファンや競技人口をどんどん奪われているのは食い止めなければならない。
甲子園にしても、プロ野球にしても、一部の熱狂的なファンが濃厚なリピーターになることで表面上は繁栄しているが、絶対的な競技人口やファンの数は減少している。だからテレビの視聴率が上がらないし、スポーツ新聞の販売も厳しくなる。
アメリカでも同様に、野球の長期低落傾向は続いている。昨年は公式戦の観客動員が2004年以来15シーズンぶりに7000万人を割り込んだ(MLBはシーズン序盤の天候不順を理由としている)。
今シーズンMLBが、ヨーロッパでのメジャーリーグ公式戦をロンドンで初めて開催したのも世界市場への進出を考えてのことだ。またMLBが主導して、全米の少年野球に「ピッチスマート」を導入したのも、親の世代に、野球が「子どもたちの健康に配慮したスポーツだ」ということをアピールする目的が大きい。
北米4大スポーツの中でシェアを維持し、ファンと競技人口を確保し続けるために、MLB、アメリカの野球界は改革の手を緩めていない。
守るべきは「甲子園」か?「野球の未来」か?
残念ながら、日本の野球界は、強い危機感を持っているようには感じられない。今、日本高野連は「投手の障害予防に関する有識者会議」を開いている。第2回の会議の議事録を読むと、「球数制限」についての詳細なデータも提示され、具体的なプランも提案されているように見える。
しかし報道されるところでは、議論は現体制を大きく変更しなくても済む「ミニマムな改革案」にむけて収斂されつつあるように見える。100年続いた「甲子園」のスタイルを大きく変えることには、消極的な委員が多いように見受けられる。
野球界が本当に守るべきなのは何なのか?「甲子園」か?「高校野球の伝統」か?それとも「野球の未来」か?
競技人口の減少に歯止めがかからない中で、少年たちに「選んでもらえるスポーツ」に変貌するために、高校野球には「パラダイムシフト」が必要になってきている。
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