金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない
同報告書を金融担当大臣(兼財務大臣)が受け取らないことにした後、次のような記事がでることになる。
この一連の動きを眺めていておもしろかったのはその後の展開である。
麻生大臣の受け取り拒否とその後
当初、旧民主党の議員たちは、年金不信をあおれば選挙で有利になるという過去の経験に基づいて、今回も柳の下に隠れる何匹目かのどじょうを求めようと活気づき、老後資金2000万円炎上を利用し始めた。ところが、世間から一斉に、2009年に抜本改革を掲げて政権を獲得した後、年金に対して何もできなかった体たらくへの批判がなされてしまった。そこで、次の記事が出てくることになる。
その後、旧民主党の政治家たちは、年金制度を批判するのではなく、矛先を、麻生大臣の個人攻撃に変えていく。野党のこうした戦略変更はみごとにあたり、その直後から、報道は、大臣への批判一色になる。そうした報道の方向転換は、海で泳ぐ魚の群れが一斉に方向を変えていく様子を想起させるものでもあり、野党の政治家たちはメディアの扱いに慣れているものだと感心した。
さてここからが、この文章の本題になる。
麻生大臣が受け取らなかったと批判するストーリーにのっとれば、その報道の中では、金融庁市場WG報告は、時に判官贔屓の感情にも訴えられて正しい報告書であると見なさざるをえなくなっていく――しかし、冒頭に触れたように、はたしてそうなのか。あの報告書を受け取らなかったのは、公式には、「政府のスタンスと異なる」ということのようである。
「政府のスタンス」がどのようなものなのか、私は正確にはわからない。しかしながら、公的年金をできるだけ生活の頼りになる柱に育てていくことを長く考えてきた立場からすれば、あの報告書には大きな違和感があった。周辺に言っていたことは、「金融庁の報告書、僕なら受け取らないけどね」――その理由を、以下、書き残しておこうと思う。
2004年に、日本の公的年金保険は将来の保険料を固定する保険料固定方式に転換した。その際、当時の給付水準を維持していこうとすれば、仮に基礎年金への国庫負担を3分の1から2分の1に引き上げたとしても厚生年金保険料は22.8%になり、国民年金保険料は2万700円(2004年度価格)になることが試算されていた。
その保険料水準にまで上げることを拒んだ日本の公的年金は、厚生年金の保険料を18.3%、国民年金の保険料を1万6900円(2004年度価格)にとどめる選択をした。その時点で、将来の年金給付水準が下がることは運命づけられていたわけである。
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