過去のにぎわいが懐かしい「残念な幹線」10選 昔は優等列車が往来し貨物輸送が盛んだった

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5)筑肥線の山本―伊万里間(佐賀県)

もともとは博多駅から東唐津、山本を経由して伊万里に至る1つの路線だった。しかし、福岡市営地下鉄と直通運転をすることになったのを契機に、筑肥線は姪浜―唐津の直流電化区間と山本―伊万里間の非電化区間に分断されてしまった。

電化区間の方は、福岡都市圏の路線として幹線にふさわしい状態であるが、取り残された非電化区間は、1両のディーゼルカーが、細々と走るのみで昼間は3時間以上間隔が空くときもある。

かつては、伊万里駅で松浦線とつながり、博多から長崎まで、筑肥線、松浦線、佐世保線、大村線、長崎本線経由の急行「平戸」が走っていたこともある。しかし、松浦線は第3セクターの松浦鉄道となり、伊万里駅では道路をはさんで線路が分断され、直通運転は不可能になり、区間輸送に特化したローカル線に成り下がってしまった。

去年、昼間に伊万里から乗ったときは、途中駅で私以外の乗客はいなくなり、1人だけの貸切列車という淋しさで、とても「幹線」とは呼べない状況だった。

周りの近代化から取り残された

6)関西本線の亀山―加茂間(三重県・京都府)

かつては、名古屋と大阪市内を結ぶ最短距離の路線ということで、東京からの夜行列車「大和」は関西本線を全線走破して、当時の終点湊町(現・JR難波)を目指していた。その後も、「かすが」が準急そして急行になり、関西本線は全盛期だった。

しかし、東海道本線全線電化、近鉄名古屋線の改軌による直通運転、東海道新幹線開業など並走する他線の近代化が進むにつれ、関西本線は地盤沈下し、名阪間の幹線という地位を捨て、地域輸送に特化することとなった。大阪市内―奈良(のちに加茂まで)は電化され、快速電車を主体とした近郊輸送に転換、名古屋―亀山間も電化され、一部区間は南紀へのルートの一部に組み込まれ、何とか幹線の面子は保っている。

結局、亀山―加茂間は非電化単線のまま取り残され、小ぶりの1~2両編成のディーゼルカーが1時間に1本程度行き交うだけの区間になってしまった。各駅の長いホームが往年の幹線だった栄光の時代をしのばせる。

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