日本メディアの「黒人」描写がかなり残念な理由 2つのCMに見る黒人の位置づけ

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そのうちいくつかは避けられないものだとしても、「ビーダッシュ」のCMでは、野獣を退治するのに、おぎやはぎ扮する機動隊が登場するのだ。これは、日本の子どもに「ボブ・サップ」と呼ばれ、多くの大人にも「似ている」と言われる筆者にとって大問題でしかない。

この問題は、実際の「黒」の定義と日本の「黒」の定義が大きく異なることに起因しているのではないか。残念ながら、日本の定義は便利なことに商品化を可能にするものだが、これは驚くものではない。「ブラック(黒人)」という言葉はもともと、奴隷制度を含めた搾取を促進するために人種差別主義者や進取的な白人よってつくられたものだ。言い換えれば、人種を商品化するためのものである。

「黒さ」を商品化する試みは危険

日本が人種差別的な国々からヒントを得ているのは残念なことだ。こうした国では、「黒」とは肌の色のために簡単に識別できる人たちを意味する。こうした国の定義では、黒人は出身国、文化、言語、そしてその他の特徴にかかわらず、似たような性質の傾向を持っていてる存在なのである。

それも理解できないことではない。「黒さ」は儲けるにつながるし、実際に黒人自身を含む世界中の多くの人々が、これを利用したさまざまな方法でお金を儲けている。

しかし、日本のコンテンツ制作者は、意図的ではなかったとしても、黒人以外による「黒さ」を商品化しようとする試み、あるいは、情報不足でゆがめられた、侮辱的な「黒さ」のイメージやアイデアを続けようとする試みは、それが最善なものであっても迷惑であり、最悪の場合は人種差別的であるということを肝に銘じてほしい。場合によっては責任を問われることにもなりかねない、ということを。

とはいえ、あのGabaの広告は、日本での考え方も変化していることを意味しており、私たちが有望な方向に向かっていることを示唆している。広告主やクリエイターたちは、私たちの間にあるギャップは、メディアが信じ込ませようとしているよりずっと小さいことを示しているように見える。

「黒さ」は、「日本人らしさ」「白さ」、またはその他の「さ」よりも際立ったものではない。私たちは、並外れた挑戦を乗り越えてきた普通の人であり、すべての普通の人は歴史を通してそうしてきたのだ。しかし、私たちが最も苦労して達成しようとしたことは、ただ普通の人として扱ってもらうということだ。なぜなら、私たちは普通の人だから。

バイエ・マクニール 作家

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Baye McNeil

2004年来日。作家として日本での生活に関して2作品上梓したほか、ジャパン・タイムズ紙のコラムニストとして、日本に住むアフリカ系の人々の生活について執筆。また、日本における人種や多様化問題についての講演やワークショップも行っている。ジャズと映画、そしてラーメンをこよなく愛する。現在、第1作を翻訳中。

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