プログラミング教育を進める現場に必要な視点 「狭義」のコーディングの技術教育はいらない

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一般論として、プログラミング講座に対する子どもたちのモチベーションは高いと考えられがちである。手を動かす作業、例えば図工はカリキュラムの中でも、人気メニューの1つである。手を動かし、かつ絵や音楽、動画といった素材を使うことができるプログラミング教育は、無条件ですべての子どもが喜ぶだろうと考えている教育関係者は多い。

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でも、大人が考えるほどに、子どもたちはプログラミング教育を好きではない。 確かにプログラミング講座を観察すると、子どもたちは楽しんでいる。しかし、無条件に楽しんでいるのは、導入部のマインクラフトにほぼ限定される。

マインクラフトは、現在、教育用ツールとして重要な位置を占めているが、もともとはゲームである。子どもたちを熱中させる要素に事欠かないのだ。

だから、マインクラフトに熱中している児童のすべてが、レッドストーン回路(マインクラフトのブロックに用意されているスイッチのようなもの)に興味を持っているわけではない。

フィールドを歩き回るゲーム体験のみを目当てにしている子も多いのである。 教育ツールがアンプラグドや、スクラッチ(子ども向けの開発ツール)を用いたものになると、授業に集中できない子どもの割合は無視できないほどに高まる。

プログラミング教育を楽しむはずという思い込みは危険

やはり、ゲームと学習は違う。どんなアクティビティでも、それが学習に接続した瞬間に失われる楽しさ、というものは存在するので、過度に悲観する必要はないが、子どもたちは必ずプログラミング教育を楽しむはず、という思い込みが危険であることは、述べておきたい。

言葉を換えれば、小学生のクラスルームに取りあえずマインクラフトを導入すれば、何となくプログラミング教育を実践しているイメージを演出することができ、かつ子どもたちが集中して取り組むことも予想できる。 しかし、それが本当にプログラミング教育として機能しているかは、第三者の視点も交えて検証しなければならないだろう。

高校に「情報」の授業が導入されたときに、持て余した学校や教員がブラウジング(ネットサーフィン)でお茶を濁したような事態を繰り返すのは、資源も時間も人員も、子どもたちの時間さえも無駄にする。

岡嶋 裕史 中央大学総合政策学部准教授

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おかじま ゆうし / Yushi Okajima

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学経済学部准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学総合政策学部准教授・国際情報学部開設準備室副室長。『ジオン軍の失敗』(講談社アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ブロックチェーン』(講談社ブルーバックス)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです! 』(以上、光文社新書)など著書多数。

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