エスカレーターを歩く人にも「言い分」はある 定着したものをやめるのは容易ではない

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エスカレーターや環境が安全だと思うだけでなく周囲の人も自分と同じような考えで同じように行動する、まあ大丈夫だろうと信じている。ひとたび大丈夫じゃない災害のようなことが起きれば起きたでその場の他人と一致団結してさらにその秩序を守ることに努める。こうして常時非常時を問わず空間を安全に保持しようとする意思が無意識に働き、あらかじめ安全に設計された物と場の信頼はさらに高められてきた。

それ自体は本当に素晴らしいことではある。しかしオオカミ少年ではないが、危険を過度に恐れ徹底的に予防や排除を推し進めて安全を重視しすぎたあまり、過保護なつくりがスタンダードになってしまった街や駅で今さら「危ないからやめろ」「気をつけなさい」と叫んでも、人は簡単にその警告を信じようとはしない。スマホの緊急速報にびっくりはしても実際何もしない人は増えている。

やめることは始めることの何倍も難しい

エスカレーターの片側空けが始まった1970年当時、駅や電車の混雑はもっとひどく駆け込み乗車や階段走りのような危険行為はもっと当たり前の風景だったのではなかろうか。

『鉄道ジャーナル』2019年4月号(2月21日発売)。特集は「関西の今と明日」(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

安全もへったくれもない路地や空き地には膝小僧に大きなかさぶたを作りヒビの入った片腕を吊るしてまだ性懲りもなく遊び回る子どもたちがあふれかえっていた。怖い場所も気味の悪い人も確かに存在したがどうすればいいか子ども自身がよく知っていた。

今ストレッチ器具のような遊具しかない公園で、親なしで外出することもない子どもはケガなどめったにしないし見知らぬ大人に声をかけられたら親切そうな年寄りだろうが誰であろうが返事もしないが、そこらの菌にはめっぽう弱くネットや短時間で知り合った人間にあっさり心を許して騙されたりする。現実に危険が迫ったときとっさに身を守りサバイブする身体や手段を持てなくなったのは大人もまた同じかもしれない。

片側空けのように長い年月をかけて自然に浸透した習慣を一気になくすのは難しい。罰則規定が設けられたり法改正などで機械自体がつくりかえられる、あるいは今は片側空けに向かって一斉に働いている同調意識を逆方向にする運動を地道に続けることで定着したのと同じぐらいの年月をかければ自然に変わっていく可能性もないことはないだろうが、そこまでの労力と費用をもってやめさせなければならないほどの緊急性や危機感を当の人々が見出せていない現状ではなかなか前途多難だろう。何事もやめるのは始めることの何倍も難しいものである。

鉄道ジャーナル編集部

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車両を中心とする伝統的な鉄道趣味の分野を基本にしながら、鉄道のシステム、輸送の実態、その将来像まで、幅広く目を向ける総合的な鉄道情報誌。創刊は1967年。

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