細野元環境相の二階派入りにブーイングの嵐 非自民のスター、「寄らば大樹」戦略の成否

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細野氏はこれまで同選挙区で繰り返し吉川氏と戦い、勝ち続けてきた。吉川氏は2012年衆院選では比例復活したものの、2014年、2017年の衆院選では落選し、同区での復活当選を目指している。吉川氏は「(細野氏入党は)あり得ない話」と憤り、自民静岡県連も猛反発。先の山梨県知事選で和解したばかりの岸田、二階両派にとっても、再び派閥対立の火種が再燃しかねない

細野氏は、2000年衆院選に旧静岡7区に民主党から出馬、初当選して29歳の若さで中央政界にデビューした。現在は当選7回の47歳と、政治家としても働き盛りだ。京都府出身で京大法学部卒という関西人の細野氏だが、早くから政治を志し、シンクタンク研究員を経て、静岡県に居を移した。その経験をつづった著書「国会をめざした落下傘候補」も刊行している。

「排除」発言で政界の孤児に

長身でルックス抜群の細野氏だが、弁も立つことから民主党注目の若手として頭角を現した。2006年秋には民放テレビの人気美人キャスターだった山本モナ氏との“路チュー”を写真週刊誌で報じられ、すべての党役職を辞任したが、選挙区での妻同伴のおわび行脚でピンチをしのいで復権した。

民主党政権誕生後には、菅直人内閣で内閣府特命相、野田佳彦内閣で環境相や党政調会長を歴任。さらに、2012年暮れの民主党政権崩壊後も、海江田万里・同党代表のもとで幹事長に就任し、2014年には自らの党内グループ(派閥)の「自誓会」を旗揚げし、党実力者としての地歩を固めた。

2015年1月には民主党代表選に出馬し、2016年9月に発足した民進党の蓮舫新体制では党代表代行になった。しかし、2017年4月に月刊誌で独自の憲法改正私案を公表し、これを批判した党執行部への不満などを理由に代表代行を辞任し、同年8月に「新たな政権政党をつくりたい」と離党に踏み切った。

細野氏は離党後、小池知事側近の若狭勝・衆院議員(落選で政界引退)の立ち上げた「日本ファーストの会」と連携し、安倍晋三首相の衆院解散断行の直前に、小池氏を代表とする新党「希望の党」の結党メンバーとして選挙戦の采配を振るう立場となった。

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