ディズニーランド逃した我孫子の残念な歴史 現在は上野東京ライン開業で存在感高まる

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我孫子にも大規模団地が次々と建設されて、人口は増加。それに伴い、1970(昭和45)年には我孫子が市に昇格している。

人口増加は常磐線にも大きな影響を及ぼした。市制施行の翌年、我孫子駅の約2.7km東側に天王台駅が新設された。これは、人口増加に伴って多くの市民が東京方面へと通勤するようになっていたからだ。

1971年には千代田線が綾瀬駅まで延伸し、常磐線との相互乗り入れが開始。我孫子駅から霞ヶ関駅まで直通できるようになった。鉄道網が整備されたことで、我孫子はベッドタウンとしての趣をいっそう濃くした。

我孫子が都市化するだけでも手賀沼へのダメージは避けられなかったが、それ以上に手賀沼の水質悪化の原因とされたのが周辺市町村の人口増だった。

別荘地として整備されてきた大正期は雨水と汚水を別々の導管で処理する分流式という下水システムが導入されたが、高度成長期に建設が進んだ新興住宅エリアでは合流式で建設された。合流式は、雨水も汚水もひとつの導管で処理する。工費も安価で工期も短いが、ひとたび雨が降ると、すぐに処理能力を超えてしまう。限界に達した汚水は、未処理のまま河川に放出せざるを得ない。汚水が河川に垂れ流されれば、当然ながら手賀沼の水質は悪化する。

我孫子駅の重要性は高まったが…

合流式で整備された下水道から排出された汚水は、手賀沼を容赦なく汚染した。1974年、手賀沼は日本で最も水質汚染された湖沼という不名誉な称号を与えられた。

それから40年以上が経過し、2015年に上野東京ラインが開業。ダイヤ改正で常磐線は品川駅まで乗り入れるようになった。同じく、上野東京ラインの開業によるダイヤ改正によって、土日の臨時列車という扱いながら我孫子駅を始発駅とする特急「踊り子」の運行も開始された。常磐線の品川駅延伸によって我孫子駅の重要性は高まった。

市民の意識改革を促すため手賀沼の水質情報が駅に掲出されているが、気に留める人は少ない(筆者撮影)

朝夕の我孫子駅は多くの利用者でごった返す。こうした我孫子の発展は、手賀沼あってこそだが、その水質は一向に改善する気配を見せない。我孫子市には手賀沼課という専門部署まであり、水質改善への並々ならぬ意気込みを感じさせる。

我孫子にとって手賀沼は発展の礎でもあり、かけがえのない財産でもあり、市民のアイデンティティーでもある。ゆえに、市を挙げて手賀沼の水質改善に取り組んでいるが、思うような成果は出せていない。市は手賀沼の水質状況を知らせる張り紙を我孫子駅に掲出し、手賀沼の様子を市民に報告を続けている。残念ながら、それを気に留める人は少ない。(文中敬称略)

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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