”ポスト・ゲイツ”の前途多難《特集マイクロソフト》

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80年代に入ってゲイツを助けたのが、このバルマーである。バルマーは74年ハーバード大学に入学した。バルマーはゲイツとはほぼ正反対の性格の持ち主であったが、2人は意気投合した。

バルマーはハーバード大学を卒業するとプロクター&ギャンブルに2年勤め、スタンフォード大学ビジネススクールに入学。半年在籍したところでゲイツからの電話。ゲイツは自分を補佐して社員を管理する信頼できる人材が欲しかったのである。

マイクロソフトに入社したバルマーを待っていたのは、突然降って湧いたIBMとの提携話であった。パソコン業界参入を決めたIBMは、OSを書いてくれるソフトウエアハウスを捜していた。ディジタル・リサーチ社はにべもなくIBMをはねつけた。苦境に立つIBMを見て、マイクロソフトは経験のないOS分野への参入を決めた。交渉ごとに慣れたバルマーがSCP社とSCP-DOSの買収交渉を行う。買収価格はわずか数万ドル。このSCP-DOSがMS-DOSになった。

若い頃から老成して見えるバルマーは対IBM交渉で存在価値があった。当時のゲイツは子供にしか見えなかった。以後、バルマーは非技術系にもかかわらず、何度もプログラム開発の監督をした。監督といっても、要するにフットボールのコーチよろしく全身を震わせて大きな声で叫びまくるだけなのである。ところがこれが意外に効果的だった。そのためバルマーはパットン将軍と呼ばれるようになった。マイクロソフトの過剰なまでの戦闘性はバルマーの影響が大きいといわれている。

ゲイツとバルマーの率いるマイクロソフトは他社との協調による標準化はあまり考えようとしなかった。自分たちが提案するものが最高というわけである。「われわれが標準を作る」がマイクロソフトのスローガンの一つだ。

一見ひ弱なマザコン 実はクールな野蛮人

ゲイツはウッディ・アレン的な風貌をした、一見ひ弱でシャイで臆病そうな若者である。オーバーサイズの眼鏡をかけ、マザコンの御令息という雰囲気である。08年6月のビデオでも、アスレチックジムでのゲイツは腹が出て、軽そうなバーベルでもやっとのことで持ち上げているし、サンドバッグの打ち込みは、まるでへっぴり腰だ。大きなボールに乗ればたちまち滑り落ちてしまう。情けないことこのうえない。

昔から、この外見に誰もが必ず引っかかった。しかし外見とは裏腹に戦闘性と攻撃性は恐るべきものがある。マザコンの若者の運転といえば、極めて保守的な乗用車を危なっかしげなハンドルさばきで運転するのを思い浮かべる。ところがさにあらず、深夜でも白昼でもゲイツは最新型のスポーツカーをエンジンが焼き切れんばかりの狂気のようなスピードで運転する。いささか常軌を逸した車の運転の仕方からわかるように決してひ弱な男ではなく、狂気さえ秘めた野蛮人に近い。しかもクールだ。

しかし、子供っぽくきゃしゃな外見から、ライバル会社のたたき上げの重役たちにはなめられることが多かった。IBMのジェームズ・キャナビーノが特にそうであった。マイクロソフトを独占禁止法違反で告発した司法省のアンヌ・ビンガマンも同じである。

ゲイツとバルマーの戦闘性も独占禁止法訴訟に導いていく一因になった。訴訟の過程でマイクロソフトの不公正なビジネス慣行がいくつも明らかにされた。マイクロソフトにとって短期的に幸運であっても、大局的には不運だったのは、独占禁止法訴訟をしのぎ切れたことである。

結果としてマイクロソフトに対しては、「権力と結びつき、罪を犯しても無罪と言い切る悪の帝国」という定評ができてしまった。これを払拭するのは並大抵のことではなかっただろう。また勝ったとはいえ、再度の訴訟提起におびえるマイクロソフトはしだいに防戦に回るようになる。特に欧州委員会からの攻撃には防戦一方だ。

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