「父の家庭内暴力」を漫画にした39歳女の半生 27歳でいったん筆を折りながらも返り咲いた

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「何考えて漫画を描いてるんだ? もっと命を懸けろよ!!」

とハッパをかけられた。担当編集者にバレンタインデーチョコを渡すと

「なんでこんなもの持ってくるんだ!! 面白いネームを持ってこい!!」

といって投げ返された。

「スパルタ教育に焦ってしまって、逆に描けなくなってしまいました。何が面白いのかわからなくなりました」

それでも45ページの漫画を仕上げて編集者に見せた。編集者はパラっと数ページめくって

「俺が思ってたのと違う。はい描き直し」

と言って、突き返してきた。

「それで心が折れちゃいました。向こうは天下の『週刊少年ジャンプ』だから、それくらいしても大丈夫なんでしょうね。正直新人作家が自殺しようがどうしようが関係ないんだと思います」

ずっと漫画は描き続けたが、掲載されることはなかった。漫画家としては地獄の日々だった。だんだん、漫画から心は離れていった。

27歳でいったん筆を折った。

漫画家を目指すのをやめたら自分には何もなかった

「漫画家を目指すのをやめたら、自分の中に何にも残ってなくてビックリしました。『あなたは漫画だけ描けばいい。ほかのことはするな』という教育方針でしたから……」

空白部分を埋めるように、遺跡発掘、チラシ制作などさまざまなバイトをした。

バイト先のラーメン屋で

「浅田さん、有効求人倍率がさ……」

と話しかけられ、

「え? 有効求人倍率ってなんですか?」

と答えると「知らないの?」と驚かれた。

「それまで本も読んだことなかったんですよ。それで新聞を何誌も読みました。わからない言葉も飛ばさず、全部調べながら読みました」

そうして自己改善をしているうちに30歳になった。

もう一度、漫画家として挑戦してみることにした。

「思いつく限りのほとんどの漫画雑誌に持ち込みました。断られることも多かったですが、パチンコ雑誌が仕事を依頼してくれました」

そこからパタパタと仕事がきた。

漫画家としては名前が出ない仕事も受けた。

たとえば、水商売の求人広告漫画などだ。

また、漫画の専門学校の講師も引き受けた。

「漫画で稼げていない時期が長かったので、とにかく漫画と名のつくものなら何でもやって稼ぎたかったんです。憧れの『週刊少年ジャンプ』でデビューしたけど、そのあとは何もなかったですから。

でも、それでも、もう1度人生があったら、また『週刊少年ジャンプ』に挑戦しちゃうと思います。バカみたいですけど、『週刊少年ジャンプ』は子どもの時から憧れてる雑誌で、いわばずっと恋してましたから(笑)」

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