「あの男が暴力を振るう時は、身体に跡が残らないようにしていました。顔を殴る時は平手打ちだけでした。でもパンパンパンパンと父親が疲れるまで殴られ続けました。
暴力を受けている時に泣くと『泣いてんじゃねえ!!』って余計に怒るので、ひたすら我慢して黙って殴られ続けました」
幼稚園時代、浅田さんは父親から受ける暴力に強いストレスを感じていた。そしてストレスを発散するために、外で悪さをした。
「万引きをしまくってました。お店の人にバレて捕まっても、懲りずにまたすぐに万引きしてました。親にバレたらまた殴られるんですが、それでもやめられなかったですね」
友人の家から金品を盗むこともあった。ビール瓶を売ればお金になることを知って、人の家に忍び込んで瓶を盗んだ。盗んだ瓶を売ってできたお金で、菓子を買って食べていた。
友人とプロレスごっこなどをして遊ぶとき、手加減をするのが苦手だった。
「普段父親から暴力を受けているから、『これくらいならいいだろう』って思っちゃうんですよね。女の子も殴っていいと思ってました。友人の保護者から電話がかかってきて怒られることもありました」
父親の悪癖は暴力だけではなかった。パチンコ、競艇などギャンブルが好きだった。ひどく負け込んで借金まみれになっていた。
ギャンブルに負けるとむしゃくしゃして、また家族に対して暴力を振るった。
漫画家として成功することで父親を見返したかった
浅田さんは、幼稚園の頃から漫画家になろうと決めていた。
「なんでもいいからあの男に勝ちたかったんですよ。漫画を描くのは当時から好きで、漫画家として成功することで、芸能人として失敗した彼を抜きたかったんです」
その頃は『週刊少年ジャンプ』がヒット作を連発する時代だった。どうせ漫画家になるなら『ジャンプ』で連載したいと思った。
小学校では、わら半紙に200ページほどの漫画を描き、クラスのみんなに見てもらっていた。ボクシング漫画や、『ジャンプ』の既存の漫画のストーリーを改変して描いた作品などだった。
中学に入ると剣道部に入部した。1年生で国体の強化選手になるほど活躍したが、部の顧問とけんかをして1年で辞めてしまった。
その頃漫画は、桂正和(『電影少女』)や萩原一至(『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』)に憧れて、お色気のあるシーンをよく描いていた。
「まだ家庭内暴力はありました。ただ物心ついてからずっとなので、中学生の頃には正直慣れてしまっていました。
『気の済むまで殴ってちょうだい』
って言うんです。すると怒ってもっと殴るんですけどね。でもどっちにしろ殴られるから、じっと我慢するのが勝ちだと思ってました。
ただ私の兄は、私より3年長く殴られてることもあって心を病んでしまいました。大学生の時、部屋から出てこなくなりました」
当時は家族で団地に住んでいたが、兄には隣に住む住人がたてる物音が耐えられなかった。怖かったのだ。
管理人や大家のフリをして「出ていってもらいます」と隣家のポストに手紙を入れた。
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