「父の家庭内暴力」を漫画にした39歳女の半生 27歳でいったん筆を折りながらも返り咲いた

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内容は親子関係を描く、シリアスな作品が多かった。

下積み時代の作品制作は苦しいと感じる人も多いが、浅田さんは漫画を描く日々が楽しくて仕方がなかったという。投稿を続けていると、ある日、『週刊少年ジャンプ』の編集部から電話がかかってきた。

「『一度編集部に来なさい』って言われました。

顔を出すと、

『君はなんで毎回毎回送ってくるの?』

って言われたので

『私は漫画家になりたいんです!!』

と答えました。

『どうすれば漫画家になれますか?』

と編集者に尋ねると

『まずは賞を取ろうか? 1本描いてきて』

と言われたんです。

それで、若者の葛藤を描いた漫画を描きました。親とうまくいってないとか、恋人が別の男と結婚するとか、そういう漫画です」

編集者に見せると

「この作品じゃあ賞は取れないなあ」

と言われアドバイスを受けたのだが、なんとその漫画で賞を取ってしまった。

『週刊少年ジャンプ』で漫画家デビュー

ただし大賞ではなかった。それが悔しくて、もう一度チャレンジした。またもや大賞は逃し、ショックで子どものようにワンワン泣いた。編集者には

「もうデビューしよう。賞にこだわらなくてもデビューはできるから」

と言われた。

「いざデビューすることになって過去に自分が描いた作品を読み返しました。『少年』『農場』『バトル』をテーマにしている作品が多かったんです。それで闘牛士をテーマにした漫画を描くことにしました」

そして2000年、20歳の時、『週刊少年ジャンプ』で描き下ろし作品「闘牛士飛火」で漫画家デビューをした。

デビューしたことを家族に伝えると、母親は喜んでくれたが、父親は浅田さんに罵声を浴びせた。

「俺はすしの親方をやっている(偉い)人間なのに、子どもが漫画家なんて恥ずかしくて言えない。家族の名簿から消す」

浅田さんはデビュー後、『週刊少年ジャンプ』と専属契約を交わした。

年間50万円が支給され、編集者から徹底的な教育を受けることになる。

「作家が休んだときに備えたストック作品を描きました。頑張って描いても、ネーム(漫画の設計図)に全然OKが出ません。1つのネームを通すのに3カ月くらいかかりました」

次ページ漫画家としては地獄の日々
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