西日本の「物流大動脈」山陽線の特殊な事情 急曲線と急勾配で貨物大量輸送に不向き
急曲線と急勾配とにより、山陽線三原―海田市間、特に八本松―瀬野間は、高速での運転にも、大量輸送にも適していない。最大1300tのコンテナ列車が運転されているので大量輸送は成し遂げられているが、この目的を達成するためにJR貨物は専用の電気機関車を14両用意し、定期運転では29本のコンテナ貨物列車に対して補助機関車として使用する。
補助機関車は広島貨物ターミナル駅から西条駅までを走れば仕事が終わりというものではない。再度補助機関車として使用するために広島貨物ターミナル駅まで戻す必要があり、機関車だけで走る単機列車が定期運転で同じく29本設定されている。
西条駅から広島貨物ターミナル駅までの間では多数の旅客列車、貨物列車が運転されているなか、さらに29本の列車を走らせなくてはならないので、複々線の海田市―広島貨物ターミナル間はともかく、西条―海田市間では旅客列車の増発が時間帯によっては難しくなっている。
ちなみに、東海道線の膳所(ぜぜ)―京都間が戦時中の1944年11月29日に複線から線路が1本増設されたのも補助機関車の連結を行っていたからだ。当時京都駅から膳所駅までの間で使用されていた補助機関車を単機列車として京都駅に戻していた結果、膳所駅から京都駅までの線路に列車を増やす余裕がなくなってしまったのである。
問題は古くから指摘されていた
山陽線の問題はいまになって表れたのではない。すでに高度経済成長期からも問題になっていた。1960年代前半に国鉄本社の新幹線局調査室調査役を務めていた池原武一郎氏は当時の山陽本線の状況について次のように嘆く。
「要するに山陽本線は輸送量の増大に応じて或いは軌道の強化・信号の自動化・車両の軽量化など、路盤より上の部分に対する近代化が進められたが、地形上の制約から勾配・曲線など、線路自体の近代化がはばまれてきたわけである。」(池原武一郎、「山陽新幹線の必要性」、「交通技術」1964年10月号、交通協力会、18ページ)
池原氏が言う山陽線の線路の近代化は急曲線や急勾配の解消によって成し遂げられる。悪条件のそろった三原―海田市間では部分的な改良工事ではとても無理で、新線への切り替えが必須だ。
事実、JR西日本は1990年6月26日に三原―本郷間の一部を新線に切り替えて半径420mの曲線2カ所が姿を消すとともにキロ程も0.6km短縮され、三原―本郷間は10.1kmから9.6kmとなった。
他の区間、特に八本松―瀬野間は早急に新線に切り替えたいところだが、現在に至るまで実現していない。その最大の理由は経済性によるもの、つまり多額の費用を投入して新線を敷設しても見合った効果が得られないからだ。
結論から言うと、八本松―瀬野間の急曲線や急勾配を緩和した新線に切り替えたとしても、得られる効果は貨物列車に対する補助機関車連結の廃止にほぼ限られてしまうので、ならば現状のままとなっている。
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