新垣結衣の「けもなれ」にモヤモヤな人の目線 世の中の汚さから距離を取っておいてほしい

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新垣結衣が彼女の代表作で演じてきた女性は大抵、スラッとモデルのような体型をしているが、一歩後ろで男のケアをするできた女性像だ。小柄で幼さを売りにした感じではなく、洗練された服装だって似合っちゃうし、知性も教養もある。けれど決して出すぎない、そんなイメージだ。

「獣になれない私たち」でも京谷と出会った派遣先の会社で晶は、仕事もできるうえ気が利くので、飲み会でもかいがいしく働いていて、京谷の目に留まった。結局、なんでも理解して受け入れてのみ込んでしまうので、元カノをマンションから追い出せなくても、呉羽とうっかりやってしまっても、甘え続けられる。まさに頼れるできた女と言えば聞こえがいいが、都合のいい女状態だ。

希有な女優になってほしい

ガッキーがすごく好きでもさほどではなくても、多くの人がガッキーに期待しているのはそうではないだろう。

筆者は、ピュアな強さをもって闘う、ジブリのヒロインのようでいてほしいと思っている。ジブリヒロインの代表・クラリスやナウシカの声を演じた島本須美は声優だが、新垣結衣は声も肉体も含めて島本須美でいてほしい。そんな願いを抱いてしまう。

よくある女優のステップアップ方式のように、物理的に一皮剥いたらいい女優なのか。汚れ役に挑んだらいい女優なのか。もちろん、それでステップアップする女優もいるだろう。

だがしかし、そうしないで、いつまでも声優でない島本須美のようであることができたら、新垣結衣は希有な女優になれるかもしれない。

象徴的なのは、「けもなれ」の九十九が好きな昭和の伝説の女優・原節子だ。

原節子は「永遠の処女」と呼ばれるほどの不可侵な清らかさのある女優で、名匠・小津安二郎監督映画のミューズであった。

原節子は素の部分をいっさい世間に明かさないまま引退し、この世を去った。彼女の時代と現代では時代が違いすぎるし、新垣結衣をそこまで縛るのは酷だとはわかったうえで、誰もが通る道、生々しい恋愛シーン、とんでもない悪女……などをやることでステップアップするパターンを選ばず(たぶん、クレバーな彼女ならそれだってできるのだ)、原節子的な女優を目指してほしい気もするのだ。また島本須美を引き合いに出すのもあれだが、『めぞん一刻』の響子さんを完璧に演じられる女優はなかなかいない。

「獣になれない私たち」は目下、晶という役と新垣結衣のパブリックイメージがみごとに重なって、晶、および新垣結衣がこれからどうなっていくのかという半分、ドキュメンタリー風なドラマと言ってもいいのかもしれない。

もしかしたら、このドラマを経て、『シン・ゴジラ』みたいに、どんどん進化していくのかも。だが、できれば、獣にならないでほしい。新垣結衣なら納得の響子さんを演じられるのではないか。リアルを演じることよりも、そういうなかなか現実にはいない永遠のあこがれを演じることができてこそ、真の女優ではないか。

木俣 冬 コラムニスト

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きまた ふゆ / Fuyu Kimata

東京都生まれ。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。

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