地下鉄は核シェルター?鉄道都市伝説の真贋 国会議事堂前駅と都営大江戸線の「深い話」
国会議事堂前駅や永田町駅にまつわる都市伝説は無数に存在するが、広く流布しているのが有事の際に核シェルターとして使われるという話だ。
どうして、そのような都市伝説が生まれたのか? その根源は、戦時下の防空政策とその後に起きた60年安保闘争に求められる。
60年安保は、岸信介内閣によって改定交渉が進められた安保条約への反対運動だ。10万人以上とも言われた学生たちが、「岸首相を国会に入れなければ、安保改正を阻止できる」と考えて国会議事堂を包囲した。
国会議事堂は、学生たちに完全に包囲された。それでも、岸首相は悠然と国会に姿を現した。どうやって岸首相は包囲網を潜り抜けたのか? その行動には、謎が残った。憶測が憶測を呼び、国会や官邸周辺には秘密の地下通路があるという都市伝説が生まれた。
前述したように、現在は官邸・衆参議員会館・国会議事堂などは地下通路でつながっている。しかし、この時点で地下通路は完成していない。
首相官邸の地下には防空壕があった
公式的に、地下通路の一部が完成するのは1963年。その後、地下通路は順次拡大。現在は一帯に地下空間が張り巡らされている。地下空間が完成していなかったのだから、岸首相は地下通路から国会に移動できなかった、とされる。
とはいえ、岸首相が地下通路を使って移動したという話を荒唐無稽と断じられない。首相官邸の地下には、本土への空襲に備えて防空壕が1942年に造成された。官邸防空壕には執務室・閣議室・書記官長室・秘書室・書記官室・機械室兼事務室の6室があり、外部につながる緊急避難用トンネルも整備された。
また官邸防空壕のほかにも、官邸と国会議事堂の間にある道路の真下に中央防空壕を計画。中央防空壕の深度は13~14m、防空壕の全長は400mと大規模の中央防空壕は、国会や周辺の官庁舎とも結ばれていた。
官邸防空壕は完成を見たものの、中央防空壕は工事の途中で終戦を迎えた。中央防空壕の掘削工事がどこまで進んでいたのかは明らかにされていないが、仮に人が通れるレベルまで工事が進んでいれば、60年安保の際に岸首相が極秘で行き来することは可能だ。政治の中枢に立地する国会議事堂前駅に都市伝説が生まれるのは自然な流れといえるだろう。
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