残された芙海さんを、誰が引き取るか? 父親は既に再婚して子どもをもっていたため、父の家には行きようがありませんでした。そこで、母方の親戚の中で話し合いが進められます。
結果、芙海さんは、実家の敷地内に住む母の姉(伯母)夫婦の家に行くことになりました。母は3姉妹の真ん中で、姉と妹がいたのですが、姉の家は近く、また同じ小学校に通う2人の従姉妹もいたからです。伯母夫婦は「未成年後見人」として、芙海さんを育てることになりました。
辛く当たられても「しょうがない」
一見、恵まれた状況でしょう。母の実家も伯母夫婦の家もそれなりに裕福で、芙海さんは親を亡くしても生活環境をあまり変えずに済んだのです。
しかし、伯母夫婦は大変厳しい人たちでした。芙海さんは特にきつく当たられることが多く、理不尽な思いをすることになります。
「後見人なんだ、面倒を見てやっているんだ、といちいち恩着せがましく言われていました。私が何かやらかしたら恥をかくのは自分たちだ、とずっと言っていて。もちろんいつもではなく、平和なときもありましたけれど。従姉妹に買ってあげるものを私には買わないといったことは一切ないし、塾も2人と同じように行かせてもらった。だから私も『育てていただいている』と思って感謝して、ものすごく気を使っていて。
ただ、経済的によくしてもらったことは当たり前だ、とも思っていました。私には母の遺産があることを知っていましたから。当時、銀行から年に1回、貯金箱などのグッズを送ってきていたので、私に口座があることはわかっていたんです。なのに、いつも私は“ゴクツブシ”みたいな言い方をされて。非常に意地の悪い仕打ちも受けていました」
従姉妹も同じことをしたのに、芙海さん1人がとがめられたこともありました。このときは、さすがに見かねた従姉が「芙海は関係ないじゃん」とかばってくれたそう。当時は「面倒を見てもらっているので、しょうがないかな」と思っていたものの、悔しさが募る日々でした。
伯母夫婦の状況に変化が起きたのは、芙海さんが中学生の頃です。伯父が勤務中の事故で身体を傷めてしまったのです。整形外科や整体、鍼灸などで、あらゆることを試しましたが、一向によくなりません。
「そこで新興宗教にはまったんですよ。教祖が書いた本に、『本部とどこそこの支部以外で弟子を名乗る人物は詐欺だから信じるな』とわざわざ書いてあるのに、まんまと弟子を名乗る近所のおばさんに心酔しちゃって。そこに行くたび、お布施を相当はずんでいました。
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