銀座線はなぜオレンジ?地下鉄「路線色」の謎 都営三田線は「赤」を丸ノ内線に譲って「青」に

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ただ、それまでも銀座線の電車はオレンジ、丸ノ内線は赤といったように、路線ごとに電車の色は異なっていた。これ以前は、ラインカラーという考え方はまったくなかったのだろうか。都営地下鉄を運営する東京都交通局にたずねると、次のような答えが返ってきた。

「1970年まで、都と営団地下鉄は独自のラインカラーを設定していました。当時、浅草線は緑、三田線は赤を使用していました」

東京メトロ丸ノ内線の旧型車両(500形)。開業時から赤い電車が走っていた丸ノ内線のラインカラーは赤となった(撮影:尾形文繁)

路線を色で案内するという概念は乏しかったというものの、一応は独自のラインカラーがあったわけだ。だが、地下鉄網の拡大により、営団・都営を問わず路線の識別をはっきりすることが必要となった。

「ラインカラーを設定することにより、お客様の乗り間違いを防ぐとともに、大手町のような多数の路線が集まる複雑な駅においても、乗り換えをわかりやすくすることが急務でした。これをふまえて、1970年7月、交通局は営団と覚書を取り交わし、ラインカラーを定めました」(東京都交通局)

営団と都営の協力で実現

また、営団地下鉄の歴史をまとめた『営団地下鉄五十年史』には次のような記述がある。

地下鉄道網の整備が進み、千代田線が北千住・大手町間で開通した後の昭和44年度末には、営団が5路線、都営が2路線合計7路線約130キロが営業するようになった。これらの路線は複雑に絡みあい、たとえば大手町駅が3駅あるようになると、毎日乗る通勤者は別にして、駅構内や連絡通路で目的の場所に行き着くのが非常に難しくなる。〈中略〉駅員に聞こうとしても、省力化で改札にしか駅員が見当たらない状態で、これが新聞紙上でも取り上げられるようになった。
営団はこれに対し、まず昭和45年7月、東京都交通局と覚書を交わし、路線別の色彩を決定することにした。

都内の地下鉄ネットワークが急速に拡大した昭和40年代、複雑化する路線網のわかりやすさを求め、営団と都営の協力によって現在に至る東京の地下鉄のラインカラーは生まれたのだ。

『営団地下鉄五十年史』では、その後旅客案内サインシステムの導入や、シンボルカラーの積極的な活用について述べられている。現在も形を変えて使われている、ラインカラーを使った円形のサイン類なども、この流れの中で登場した。こういった経緯を経て、東京の地下鉄はカラフルになっていった。

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