「全員一致」で終わる会議が心底危ない理由 ドラッカーは「常識こそ疑え」と教えた

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逆に、検討しなければ、すばらしく価値のある選択肢を見逃したり、不出来な提案やそれこそまちがった提案をしてしまったりする。この一文は、彼の仕事でとても大事な役割を果たしていたものと思われる。

ドラッカーのこの考え方は、実は何千年も前から正しかった。その実例が、大昔イスラエルにあったサンヘドリンという最高法院だ。今の最高裁判所にあたるが、その力ははるかに強い。

満場一致で有罪の場合は、無罪放免に

このサンヘドリンでは、重要案件が審議され、死刑に至るまでの処罰が科される。しかし、この法廷には検察官も弁護士も登場しない。いるのは裁判官のみで、被告人、告訴人、さらにはどちらかが呼んでいれば、証人についても、審理が行われる。なお、サンヘドリンでは、王を含むあらゆる人の審理が行われており、無罪は1票差の多数で決定できるが、有罪は2票差以上の多数でなければならない。

このあとが本題だ。

サンヘドリンは2000年以上も昔の制度だが、そこではドラッカーの考え方が法的手段として規定されていた。つまり、71人の裁判官が満場一致で死罪と判断したら、被告人は「無罪放免」となるのだ。サンヘドリンの裁判官は賢い人々のはずだ。であるのに、どうしてこういう規定になるのだろうか。

サンヘドリンの審理において、被告の弁護をする人はいない。だが、どれほど重大な犯罪であっても、あるいは証人や証拠にどれほど説得力があっても、弁護の余地は必ずある。そう古代イスラエルの裁判官は知っていた。だから、被告人の主張にも一理あると認める裁判官が1人もいないという状態は、何かおかしなことが起きている、裁判に間違いが起きている証拠だと考えるのだ。

被告人と敵対している人の中に、カリスマ性のある人や、口のうまい人がいるのかもしれない。政治的圧力や汚職によるかもしれないし、大司祭や王など「上の意向」があるのかもしれない。満場一致になったという事実だけで、本当のところ被告は無罪である可能性が高いし、これは有罪を示唆するその他すべてに勝る大事なポイントである、と彼らは考えるのだ。

裁判官は、みな、経験と判断力を買われて任用されているわけだが、その彼らが全員、「間違いなく正しいと知っていること」があれば、それはおそらく正しくない。だから被告人は放免となる。これは、心理学的な研究でも確認されている。

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