大人気!5万円パソコンブームの火付け役、台湾「アスース」の素顔

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大人気!5万円パソコンブームの火付け役、台湾「アスース」の素顔

家電量販店のパソコン売り場が激変した。店頭に並ぶのはB5サイズのノートパソコン。引き金を引いたのは、台湾のアスース・テック(華碩電脳)製激安パソコン、EeePC(イーピーシー)だ。液晶画面は約8インチで、重さは1キログラム以下。インターネット利用に特化した機能が消費者をとらえた。

わずか1年で500万台近くを売り上げ、いわゆる5万円パソコン、ネットブックという新市場を創出。当初は「一時的な流行にすぎない」(大手幹部)と静観していた他社も、ノートパソコン販売台数の3割をネットブックが占めるに至ると態度を一変。続々と類似タイプを投入し、停滞ぎみの国内パソコン市場に熱気を呼び戻した。一方で、欧州市場がネットブックに席巻されたことで、富士通の一般用パソコン事業が赤字化。欧州での撤退の検討を始めるなど、“台風の目”アスースが業界に与えたインパクトは計り知れない。

エイサー技術者が独立 マザーボード製造で躍進

EeePCの成功で、日本でもようやく知名度が上がりだしたアスース。その実態は2007年度売上高が2兆円以上、従業員数10万人を誇る台湾屈指の巨大企業である。理系の大学生の就職先としても、人気はもちろんトップクラスだ。

GDPの4割を電子機器産業が占める電子立国・台湾では、1960年代後半以降、技術者が独立して巨万の富を築く「台湾ドリーム」が湧き起こった。アスースもその一つ。

創業したのは、当時すでにパソコン業界で頭角を現していたエイサー(宏基)に在籍していた4人の技術者。IBMからの経営陣参画や、株式上場に伴い混乱していたエイサーに見切りをつけ、90年に独立。パソコンの中核部品、マザーボードメーカーとして出発する。工場を持たず、台北市内の35坪のアパートからの船出だった。

設立からわずか8カ月後、アスースには未提供のインテルの新チップセットに合うマザーボードを独自に開発。その技術力でインテルの信頼を勝ち取り、アスースは技術パートナーの地位を手にする。以後、最新技術の情報が優先的に入手可能になる立場を強みに、マザーボード製造で躍進。94年には、かつての上司でエイサーのカリスマ技術者でもあった施崇棠氏を会長に迎え入れた。

99年に中国・蘇州に巨大工場を建設してODM(相手先ブランドでの受託開発、製造)を本格開始。ソニーのプレイステーションやアップルのノートブックなどを受注し技術力を磨いてきた。04年にはついにマザーボード世界首位の座を射止める。創業メンバーがストックオプションで巨額の富を得て退社した後も、施会長が経営の舵を取っている。

アスースにとって、日本企業との取引から学んだ品質管理手法も、その後の成長に大きく貢献している。

「それ以前は、何か工場で問題が起こると責任のなすり合いに終始していた」と当時の技術者で現CEOの沈振來氏は振り返る。「原因を徹底追及し、改善につなげるソニーやエプソンと取引する中で、問題解決能力の決定的な欠如を痛感した」。

トヨタ式カイゼンを導入 高利益率の筋肉質へ

02年、アスースは自己改革に乗り出す。「台湾企業の強みであるスピードと柔軟性を維持しながら、トヨタのカイゼン方式を工場の内外で徹底的に実行した」(施会長)のだ。

社員の査定にはカイゼン運動への貢献も評価に加える制度を導入。「連携カイゼン(問題発生時は全員が連携してカイゼンする)」をスローガンに全社横断で実行した。

それが実を結び、売上高は02年から07年までで約7倍に拡大。利益率1%で上出来といわれるパソコン業界にあって、つねに3%程度の利益を確保している。経営陣のコスト意識は隅々まで徹底しており、移動はすべて公共機関。来日した際も山手線を利用するほどだ。

05年、そんなアスースに転機が訪れた。当時、ハード機器の価格下落が進み、ODMの利幅は薄くなるばかり。さらに、02年に開始した自社ブランドのノートパソコン事業の成長が得意先の目に留まった。「ODMで培った技術を自社ブランドに利用しているのでは、という批判がソニーなどから出始めた」(沈氏)。

同社は、ODM事業と自社ブランド事業の分離を決断する。追い込まれた末の選択だったが、結果的には吉と出た。これがODMの陰で細々と続けていた自社ブランド事業の強化につながり、EeePCの大ブレークで結実したのだ。

自社ブランド構築を陣頭指揮していた沈氏は、当時のパソコンがCPU(中央演算処理装置)の能力の2割しか使用していないこと、また使用時間の半分はインターネットの利用である点に着目。ネットの使いやすさ、持ち運びのしやすさ、簡単な操作性の三つにコンセプトを絞る。06年9月、販売価格199ドルの新製品開発を技術陣に命じる。高機能、高価格化が流れだった業界で、低機能、低価格はまさに“盲点”だったのだ。

課題はCPU(中央演算処理装置)とOS(オペレーティングシステム)の調達だった。開発者の許先越氏は、「(CPU世界2位の)AMDが提示した価格を見て、インテルはさらなる安値を提案した」。メーカー間のし烈な競争でCPUの安価が実現。だが、マイクロソフトとは価格が折り合わず、初期モデルはリナックスを搭載して発売となる。

結局199ドルは実現しなかったが、完成した299ドルモデルは発売3カ月で30万台を記録。この好調でインテルは小型機器用のCPU、ATOMを増産。マイクロソフトも小型機向けにWindowsXPの使用期限を延長するなど、アスースが業界の2巨頭の戦略を変えた。

「アップルのような革新的企業になりたい」

「“Eee”のロゴを隠すとどこのメーカーの商品に見える? まるでソニーの製品みたいだろう」

10月に台北で開かれた新製品発表会。幹部は自慢げにEeePCの新製品を披露した。薄さわずか18ミリメートル。「(アップルの超薄型ノートパソコン)MacBookAirと同じバッテリーを使った」(沈氏)。ODM技術の“摸倣”という声もある。が、「もはや消費者は機能では選ばない」(富士通幹部)といわれるパソコン業界でいち早く、機能の割り切りとデザインに重心を置いた戦略は、同社独自のものだ。

現在は売上高の2%を占めるにすぎないEeePCだが、今後はシリーズ化してブランドを強化する方向だ。台北の本社に今年、ソニーやアップル出身者を含む100人のデザイナーを抱えるデザインセンターを開設。さらに、シャープからパネル調達した液晶テレビや携帯電話を自社ブランドで投入していく。

09年は、売り上げの25%を占める大黒柱のマザーボードで買い換え需要の鈍化が予想される。自社ブランド事業の成否は、アスースにとってこれまで以上に大きな意味を持つ。

「アップルのようなイノベーティブな企業になりたい」と、技術の話になると目を輝かせる沈氏。自らの“台湾ドリーム”実現への道のりは始まったばかりだ。


(麻田真衣 撮影:吉野純治 =週刊東洋経済)
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