人気回復「熱海」に眠る幻のモノレール計画 過去に東京モノレールと接続する壮大な案も

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本ビルには現在、店舗やオフィスが入居している。地下1階は商店街とバスターミナル(現在は駐車場)、地下2階は駐車場で、地下3階が機械室とモノレール駅だ。現在も熱海モノレールのホームが眠っており、マニアの間でも話題になっている。同ビルの管理会社に取材したが、モノレール駅がある場所は封鎖されており、立ち入れないという。地下3階ということで他の用途に転用できなかったものと思われる。

地下3階にモノレールのホームが眠る熱海第一ビル(筆者撮影)
熱海駅前と熱海第一ビルの地下一階をつなぐ通路。奥に見えるビルへの階段手前に地下3階に通じる階段ができる予定であったと思われる(筆者撮影)

JR熱海駅は標高が70mほどある。熱海駅付近から急勾配のトンネルを掘り、海岸線に出ることになる。しかし、駅周辺は旅館や別荘が乱立していたため、そこでの振動問題、美観問題が大きい障害となった。振動に関して会社側は「モノレールはタイヤで走るので振動は出ない」と説明しているが、反対派は信じていなかったようだ。また日本有数の温泉街であるために、工事によって温泉が出なくなる可能性を危惧していたようだ。

そうした中で前述のように社会党が反対運動を繰り広げる。当時の熱海新聞を見ると、熱海モノレールの重役に地元出身の自民党の代議士で運輸政務次官も務めた山田弥一氏(1906年4月~1978年8月)が就任しており、これに対して反対派が批判を繰り広げていた様子がうかがえる。

計画を進めるために山田氏は重役を辞任しているのだが、陰で糸を引く人物として社会党などが批判していたようで、同氏の潔白である旨の声明文も記事になっている(1967年9月8日付熱海新聞)。さらに反対派からは地元の交通労働者の生活を守る戦いであることが主張されている。モノレールができることによってバスやタクシー従事者の職が奪われることを懸念したのであろう。計画段階から地元交通機関に経営参画させるなどの対応を取っていれば、結果は違っていたかもしれない。

再びモノレールの検討を

反対運動にあい計画変更を繰り返していた時期の熱海新聞記事(1966年9月17日号)

今後、熱海の観光が本格的に上向くのかはわからないが、市内の交通問題が将来ネックになることは間違いない。観光客の移動だけでなく、高齢化が進む地元住民の足としてもモノレールのような交通手段は不可欠に思う。実現すれば、当時ネーミングされていた「夢の空中電車」として観光の目玉になるはずだ。取材の初めに熱海市役所に熱海モノレールの資料や情報がないか問い合わせたが、一切ないということだった。もう少し過去の交通政策の変遷に地元行政は関心を持つべきだ。

再三変更されたモノレールのルートだが、ロープウェイ山麓駅からさらに熱海市内の坂を上がって来宮駅まで結ぶ計画も出ている。驚いたことに、1963年12月19日付熱海新聞は、建設中(当時)の「新橋―羽田空港間」のモノレール(現東京モノレールのこと)と接続させる計画があると報じている。ここまでくると夢のまた夢の話だが、現在も熱海第一ビル地下3階に眠る始発駅施設を活用して、再びモノレールを建設する計画が議論されるくらいになれば熱海の復興も本物だと思う。ぜひ検討していただきたい。

細川 幸一 日本女子大学名誉教授

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ほそかわ こういち / Koichi Hosokawa

専門は消費者政策、企業の社会的責任(CSR)。一橋大学博士(法学)。内閣府消費者委員会委員、埼玉県消費生活審議会会長代行、東京都消費生活対策審議会委員等を歴任。著書に『新版 大学生が知っておきたい 消費生活と法律』、『第2版 大学生が知っておきたい生活のなかの法律』(いずれも慶應義塾大学出版会)等がある。2021年に消費者保護活動の功績により内閣総理大臣表彰。歌舞伎を中心に観劇歴40年。自ら長唄三味線、沖縄三線をたしなむ。

 

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