任天堂「マリカー裁判」勝訴が示す大きな意味 キャラクターの価値は死守せねばならない
インターネットの出現、普及により世界はあっという間に大きく変わりました。
人々がまず何かを調べるときにグーグルで検索をかけるようになると、会社は商品やサービス名で検索されたときにライバル会社より上位に表示されるようにとアルゴリズムを研究し、対策をします。
飲食店を探すときに消費者が、口コミサイト「食べログ」の評価点を気にするようになると、飲食店は食べログの点数を上げるための対策を始めます。
SNSが広まり、多くの人がフェイスブックのアカウントを持つようになると、敏感な業者はすぐにフェイスブック上に広告を出し、興味があるユーザーに自社製品をアピールします。
プラットフォームを握る企業が勝つ時代
しかし、本当の勝者は、「SEOで上位表示に成功した会社」「食べログ評価の高い飲食店」「フェイスブック広告で集客に成功した会社」ではなく、グーグル、食べログ、フェイスブックそのものなのです。
なぜなら、グーグルのアルゴリズムや、食べログの表示基準、フェイスブックの広告単価などは全てそれぞれの会社が自由に決めることができ、自社の都合に合わせて設定できます。一方で、これらを利用している会社は、アルゴリズムや広告単価が変更されるために、その変化に対応するため右往左往を繰り返さざるを得なくなります。
つまり、ルールを決める側(これをプラットフォームと呼びます)こそが強い立場を保持することができ、利用する側はそのルールに従うほか選択肢がなくなるという構図ができあがるのです。
キャラクタービジネスの観点で言えば、任天堂はまさにルールを決める側にいて、日本企業としては数少ない世界的なプラットフォーム企業です。ここに任天堂の強さがあり、任天堂にとってはわずかな金額しか得られなかったとしても、旧マリカーを訴訟で破る必要があったというわけです。
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