九州の超定番「焼豚ラーメン」40年の歩みと魂 サンポー食品のカップ麺を知っていますか?

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「発売直後がピーク、その後は急激に売れ行きが落ち込むのがカップ麺」と古川さん。年間売上高22億9000万円(2018年7月期)のサンポー食品を、文字通り「屋台骨」として40年間支え続けてきた焼豚ラーメンは「絶対的エース」といえる。

ここで、サンポー食品の歴史を振り返る。

大正時代に創業したときは米卸業。終戦後の1949年に「旭製粉製麺所(後に旭食品)」として設立された。

世界初のインスタントラーメンとして知られる日清食品のチキンラーメンが発売された1958年の翌年、同社も即席棒状ラーメン「三宝(みたから)ラーメン」の製造を始める。1965年には「即席」の要素を強調した「スピードラーメン」という攻めのネーミングで商品を送り出している。

社名を看板商品に寄せて「サンポー食品」に変更

「三宝ラーメン」は、読み仮名を振っていなかったため、客からは「みたから」ではなく「さんぽうラーメン」と呼ばれた。そしていつしか「さんぽー」の呼び方が定着。旭食品は1965年12月、大胆にも社名をその看板商品に寄せて「サンポー食品」に変更した。

とんこつ風味の「サンポー軒」などを展開したが、業界の競争は次第に激化。売り上げが低迷する中、1973年にはカップ麺「サンカップ」を送り出す。その後原料メーカーと知恵を絞って改良し、1978年に生まれたのが「元祖焼豚ラーメン」だった。これが、北部九州の胃袋をつかむことになる。

「私たちが納得する味を届けたい」と話す社長の大石忠徳さん(写真:qbiz西日本新聞経済電子版)

祖父の代から続く同社のかじを取る3代目、大石忠徳社長(62)は25歳でサンポー食品に入った。「これ(焼豚ラーメン)とともに会社も、私も成長した。これに飯を食わせてもらってきた」と思い入れを語る。「これなしでは、いまのサンポー食品はない。多くの挑戦者を退けてきた」

「九州の味を全国に届けたい」と話す大石社長。昨年7月、ついに東京・汐留にオフィスを開設。9割が九州で消費される焼豚ラーメンだが、関東でも常時取り扱う店が徐々にだが増えつつある。「もっとやっていきたい」と話す大石社長は、海の向こう側も見据えている。

工場の入り口に飾られたサンポー食品の製品ラインナップ(写真:qbiz西日本新聞経済電子版)

「僕のスタミナ源は、『にんにくラーメン男性専用』!」

1990年前後のサンポー食品のテレビCM。ウェイトトレーニングする青年の自信満々な言葉をたしなめる女性の次のセリフを覚えている人もいるだろう。

「う〜んにゃ、あなたは、まだまだ元祖焼豚ラーメンよ!」

時には新商品を引き立てる「裏方」に回りながら、支持されてきた40年。サンポーが九州の味にこだわり続ける限り、焼豚ラーメンは、まだまだ走り続ける。

(記者:福間慎一)

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