専制君主制は必ず滅ぶ!米国への警告 オリバー・ストーン単独インタビュー(上)

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国家の栄誉と経済的報酬のための戦争

大野:もともとあなたは1967年からベトナム戦争に参加し、その経験をもとに制作した映画『プラトーン』(86年)でアカデミー監督賞を受賞されました。ご自身の戦争観はベトナム戦争の影響を多大に受けているのでしょうか。

ストーン:ベトナムには18歳のときに英語教師として、21歳のときには陸軍兵士として赴きました。ただ、ベトナム戦争の経験からすぐに『プラトーン』の構想が生まれたわけではありません。少し、私の来歴をお話ししましょう。

私は1946年にニューヨーク市で生まれ、共和党支持者の父親から保守的な教育を受けました。当時は「アメリカ帝国」の黎明期で、ニューヨークは「世界の中心」といわれていました。そのため私も、ベトナム戦争が勃発したとき、「これは共産主義と戦うための『正しい戦争』だ」と信じていました。

しかし軍隊に入り、実際にベトナムの地を踏んだとき、大きな衝撃を受けました。アメリカ軍が最新式の兵器をもつ一方、相手はほとんど丸腰で何ももっていない。現地の農民が米兵と衝突し、一方的に銃撃されるシーンを幾度となく目にしました。あまりにもフェアではないと思いました。

私が受けた心の傷は深く、帰国後は一時的に精神を病んでしまいました。呆然として、何も手につかなかったのです。それでもまだ「アメリカは間違っている」と確信することはできず、反戦運動にも参加しませんでした。

1970年代に入っても、ニクソン政権下でアメリカは戦争を続けました。同時にウォーターゲート事件が発生し、この政権がCIA(中央情報局)を使って違法に情報収集をしていたことが明らかになりました。アメリカはさらに危険な方向に走っていたのです。私は政治や歴史の各分野で知識人に話を聞いて回り、世界情勢に対する知識を蓄えていきました。その経験があって初めて、アメリカが行なってきたことに疑問を持ち始めたのです。

80年代に入り、私は『サルバドル/遥かなる日々』(86年)をつくろうと、友人のジャーナリスト、リチャード・ボイルとともにニカラグアやホンデュラス、グアテマラ、エルサルバドルなどの中米諸国を訪れました。そこで米軍の行動を見て、「ベトナム戦争と同じだ」と確信しました。アメリカは国家の栄誉のため、そして経済的報酬のために、戦争をしたがっていたのです。

大野:それが『プラトーン』につながったわけですね。

ストーン:ええ。その後も『7月4日に生まれて』(89年)、『JFK』(91年)、『天と地』(93年)などの作品をつくり、前に進み続けました。しかし2000年にブッシュ大統領が就任すると、アメリカはますますクレージーな方向に進んでいった。そこで今回は、歴史家のピーター・カズニック氏と共に計10時間のTVドキュメンタリーをつくったのです。アメリカがいかにして「世界の警察国家」になっていったのかを克明に描くために。(『Voice』2013年12月号より)

<後編へ続く>

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