「響-HIBIKI-」の天才少女は現実にあり得るか 芥川賞と直木賞の同時獲得が極めて難しい訳

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いずれも60年以上前の古い話で、両賞を取り巻く環境も、いまとはまるで違う。単純な比較はできないが、前例がある以上、荒唐無稽と切り捨てることもできない。直木賞は大衆文芸が対象、芥川賞は純文学、という性質の違いも、あまり障害にはなりにくい。大衆文芸と純文学、2つの文芸用語は、対立した概念を表すものではないからだ。

芥川賞・直木賞のW受賞の実現性

しかし、文芸編集者や評論家に聞くと、芥川賞と直木賞のW受賞は「現状ではまずありえない」という答えが返ってくる。私も確かにそう思う。誰ひとり響の「お伽の庭」を読んでいないのに、なぜそんなことが言えるのか。それは、小説の質や内容とはまた別の事情があるからにほかならない。

芥川賞はその歴史的経緯から、中・短編(原稿用紙換算で250枚前後より短いもの)を対象にし、単行本ではなく、雑誌掲載作のなかから予選が行われる。その意味で劇中、響の1年上の先輩、祖父江凛夏が刊行して話題となった『四季降る塔』は、単行本という理由で芥川賞の芽はない。

対して直木賞には、長短の基準はないが、単行本になった長編か作品集でなければ、いまのところ予選を通る可能性はゼロに等しい。

いや、仮に昔のように雑誌掲載作が直木賞の対象として復活したとしよう。だが、これらの賞は、純粋に作品の優秀さを競うものではなく、ひとりでも多くの有望な作家を送り出すことに比重が置かれている。どちらか一方で十分に受賞が有力視される作家がいたとき、ほかの作家のチャンスを潰してまで、わざわざ両方の選考会に上げる、という発想が、賞を運営する立場から生まれるだろうか。それが「ありえない」と思われるいちばんの理由だ。

現実に起きる可能性は、ほぼない。しかし、芥川賞・直木賞というのは、思いのほか厳密な規定がない。時代や出版環境に応じて少しずつ変化してきたこれまでの過程を見ても、今後もないとは言い切れない。

川口 則弘 直木賞研究家

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かわぐち のりひろ / Norihiro Kawaguchi

1972年、東京都生まれ。筑波大学比較文化学類卒業。昼間は会社員として働きながら、趣味である「直木賞」研究にコツコツと没頭。2000年から、直木賞非公式WEBサイト「直木賞のすべて」を運営。さらに趣味が高じて「文学ではなく、大好きな文学賞」の研究範囲が拡大。「芥川賞のすべて・のようなもの」「文学賞の世界」のサイトまで運営。

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