北朝鮮は「ソビエト」最後の日々をどう見たか ゴルバチョフと北朝鮮の指導者の違いは?
決め手となったのは、精鋭による特殊部隊「アルファ部隊」が、エリツィン氏の自宅を急襲せよ、とのクリュチコフ氏の命令に背いたことだ。国家非常事態委員会にはもはや、内戦を仕掛ける以外の選択肢は残されていなかった。しかし、内戦の代償がどれだけ壊滅的なものとなるかを理解するだけの良心は、クーデター首謀者の間にもまだ残っていた。国家非常事態委員会は、流血の拡大を避けるため降伏する道を選ぶ。
ヤゾフ氏は全軍隊にモスクワからの撤退を命令。クリュチコフ氏はゴルバチョフ氏と面会し、詫びを入れた。そして、ヤナーエフ氏は国家非常事態委員会を解散。クーデターは失敗に終わった。
崩壊への道
守旧派によるクーデターが失敗したことで、ソ連を崩壊へと導く最後のドミノがはじけ飛んだ。ソ連を構成する共和国はさらなる軍事クーデターの勃発を恐れ、独立へと動き出す。
クーデター未遂事件から数日後、エリツィン氏はソ連共産党内にあったロシア共産党の活動停止を命じる。「1977年憲法」で規定されている「ソ連共産党の指導的役割」を守ろうとする者は誰もいなかった。
11月6日、ロシア革命記念日の前日、ソ連共産党はエリツィン氏によって非合法化され、解体される。にもかかわらず、北朝鮮はその翌日、革命記念日に際しゴルバチョフ氏に祝辞を送っている。ソ連共産党の活動が禁止されることになった11月6日付で送られた祝電は、思わぬ皮肉となった。
12月25日には、ゴルバチョフ氏が白旗を揚げ、テレビ演説でソ連の大統領から辞任すると表明。エリツィン氏に権力を譲った。同時に、ソ連の中核を成してきた「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」の呼称が「ロシア連邦」に変わることも告げられた。
首都モスクワのクレムリンに掲げられていた赤旗はこの日、エリツィン政権のナンバー2だったゲンナジー・ブルブリス氏の手で降ろされ、新たに白青赤の三色旗が掲揚された。何十年にもわたる共産主義の時代を経て、帝政ロシアの国旗が再びクレムリンにはためいた瞬間だ。
実はソ連そのものは、もう1日だけ生きながらえた。しかし、今日の北朝鮮では、この赤旗の降納をもってソ連は消滅したと見なされている。
金正日氏が朝鮮人民軍の最高司令官に就任したのは、ソ連が正式に消滅する2日前だ。