――『ラヂオの時間』などもそうですが、確かに三谷作品はいわゆる裏方さんへの共感が根底にあるように感じられます。
そうですね、表に出ている人たち、たとえば織田信長であったり、坂本竜馬であったりといった人たちは、みんなが思い描いているから、僕が新しい解釈でやる必要もないだろうというのがあります。もうひとつの理由として、僕は喜劇作家なので、信長や竜馬といった人たちに喜劇的なものを感じないんですよ。しかし歴史に取り残された人々、新撰組だったり、柴田勝家だったり、彼らは悲しく、はかないですが、そこにほのかなユーモアも感じてしまう。それは人間の持っている愚かさのようなものだと思うのですが、そこに喜劇作家として何か触れるものがあると思います。だから僕の興味はやはり勝家や長秀、もしくは池田恒興に向いてしまいますね。
秀吉の「賭け」とは?
――いろいろと調べるのも大変だったと思うのですが、当時のことをどのように調査をされたのでしょうか?
清須会議のことはあまり記録に残っていなかったので、いちばん参考にしたのは(江戸時代初期に書かれたといわれる)『川角太閤記』ですね。『太閤記』というものはたくさんあるのですが、その中でも『川角太閤記』は第一級資料ではないので、本当のことかどうかはわからない。しかし、ものすごくリアルに清須会議のことが書かれていたのです。『川角太閤記』で僕が感じ入ったのは、丹羽長秀が(織田家の後継者問題で)態度をきちんと表明しなかったときに、秀吉が「厠(かわや)に行ってくる」と言って、立ち上がって出ていくところ。それを読んだときに、秀吉の持つすごみを感じました。
自分が席を外したことによって、長秀に無言の圧力を加えるわけです。僕らはその後の秀吉のことを知っているために、わりと普通に読み飛ばしてしまう箇所ですが、あの局面でよくそんなことができたなと思います。下手をすると、形勢が逆転する可能性だってあったはずですから。自分がいないところで長秀と勝家が結託してしまったら、自分がいる場所がなくなってしまう。それぐらいの決断でしたが、それでも彼は賭けに出て、そして勝つ。その場面をとにかく描きたいと思いましたし、残された長秀の心情を思うと、なんかもういたたまれない部分があった。そこがいちばん引っ掛かったシーンですね。
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