世界約90カ国の学生が集まる「APU」、驚きの姿 「失敗する」と噂され…ドタバタ開学から18年
奨学金を用意しても学生集めは困難を極めた。
「本来は国が率先して作るべき大学。まぁ、大学にしてもできない理由はいくつでも挙げられる構想。そんな大学だからこそ私たち立命館がやるんだ」
幹部のそんな思いに触れ、関係者は一丸となって取り組んだ。
今村さんは韓国担当となり、100を超える各地の学校へ。
「詐欺だと噂が流れて説明会をボイコットされたり、田舎の女子高では娘さんが(APUに)行きたいと泣き、母親は止めたくて泣き、先生たちに囲まれてヤジが飛ぶ中で話をしたり。
でも彼女は強い意志で入学してくれて、今は日系企業の社長秘書として働いていますよ」
2000年4月、条件をほぼクリアして開学にこぎつけた。「国際学生から見ると外国の、国内学生にとっても別府というマイナーなまちの山の中にできるまだ形のない大学に、自らの夢を託して入学してきてくれた1期生がいたおかげで、今のAPUがあります」としみじみ話す。
日本語も英語も話せるようになる
APUでは、日本語を話せない国際学生と、英語を話せない日本人の双方を受け入れるために、日英2言語の教育カリキュラムを組んでいる。そして大学生活を送るうちに、どちらの言語も話せるようになるという。入学から1年は多くの国内学生と国際学生全員が学生寮「APハウス」で共同生活を送るのも大きな特徴だ。
当初は国際学生用の寮だったが、「教育的な意義が大きい」と考え、今村さんは寮の拡大に取り組んだ。
「国際学生と日本の学生が一緒に暮らすことで交流が深まり、人間的にかなり成長する。国際学生はここで日本語や日本の習慣を身につけて、2年目から下界で生活します。下界というのは別府市街地のこと。大学から車で30分くらいかけて下山するから、みんな市街地のことを下界と呼んでいます(笑)」
APUならではの名物イベントとして「マルチカルチュラル・ウィーク」がある。
マルチカルチュラルとは多文化のこと。毎年春と秋に学生が中心となって、十数カ国・地域の言語や芸術、文化を週替わりで紹介する。
各ウィークは月曜のオープニングイベントから始まり、民族衣装の試着やパレード、食べ物屋台など様々な企画を展開。
金曜にフィナーレとして開催されるグランドショーには、学内外から見学者が訪れる。
「やりたい学生が手を挙げて、自国以外の学生も巻き込んでやっています。母国への誇りが高まり、他国の学生は五感で異文化を理解できる。すごく盛り上がるんですよ」
「開学からしばらくは本当に余裕がなくて、枕木を1本1本置くのに精一杯で、線路がどこに向かっているのかよく見えなかった」と打ち明ける今村さん。
だが、国際教育を担う教員が増えて教育プログラムはどんどん洗練され、学生はイベントや寮の運営を改善して後輩に引き継ぎ、卒業生が世界中で活躍するようになった。
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